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砂漠があった?「えりも砂漠」って何?

北海道に「砂漠」があった?という驚きの事実。それは、日高管内えりも町にありました。海流がぶつかる海域ゆえに自然豊かな地域ですが、厳しい環境に苦しんできた歴史があるのでした。

えりも砂漠とは?

えりも町は日高山脈が太平洋に落ち込む襟裳岬がある町。この襟裳岬に「えりも砂漠」が存在していました。とはいえ、最初からそうだったわけではなく、広葉樹林があり、昆布漁も盛んでした。

明治時代以降入植者がやってくると、えりも岬の森林地帯は開拓や、えりも短角牛用の放牧などにより、森林伐採が相次ぎました。これなら、道内どこでもそうだったのではないかと思われがちですが、ここ、えりも岬が他地域と決定的に異なるのが、「強風」でした。(現在もえりも岬にいくと強風を体験できます)

森林乱伐された、荒れ果てたむき出しの丘陵地帯、はげ山には風が容赦なく吹き付けたのです。この強風により、地表の養分のある土が失われ、赤褐色の火山灰砂の地表になりました。こうして「えりも砂漠」と呼ばれる荒廃地域ができあがったというわけです。(また明治13年以降3年間のイナゴ大発生という悪環境も加わりました)

風により砂が舞い上がり、黄砂のような状況になり、さらに、今度はその赤い土が雨水や風によって海に流出しました。これにより、昆布をはじめとした海産物がとれなくなり、ここで漁師として生活していた人たちは一気に生活苦へ追い込まれました。

地面も、上空も、海も、赤くなったことで、漁師を中心に移住を検討する人が相次ぎました。えりも砂漠の被害面積は、地表が襟裳岬東部の百人浜だけでおよそ200ヘクタール、海岸線は沖合10kmほどまで、まさに真赤に染まったのです。

えりも緑化事業

このままではまずいというわけで、昭和28年に行政と漁師がスタッフとなって、旧浦河営林署えりも治山事業所が新設され、国によるえりも緑化事業を開始することになりました。

しかし、これには問題が。前述のとおり強風がネックとなって、施策は失敗続きに終わりました。草を根付かせても風で吹き飛ばされるのでした。とても樹木植林まで至りません。

試行錯誤の末、昭和32年に前代未聞の緑化工法が編み出されました。「えりも式緑化工法」と呼ばれることになったそのやり方とは、草のタネを播いた上に「ゴタ」、つまり海岸に打ち上げる海草群で覆いかぶせて風に対処するというものでした。ゴタは堆肥にもなり、重りもあり、適度な湿り気もありで、意外に使えるものでした。

こうした涙ぐましい努力の成果、17年かかった昭和45年に、完全に「えりも砂漠」が「えりも草原」に変わりました。数十年ぶりに青空が、青い海が、海産物がたくさん戻ってきました。

続いて「えりも樹林」へ転換させる事業が始まりました。これは2008年現在も続いているもので、防風垣で囲んでクロマツの植林がなされています。襟裳岬東部の百人浜にも約2kmにわたって低木ながら、クロマツが育ってきました。昭和58年結成のえりも岬の緑を守る会が現在植林事業を実施しています。


「よみがえれ、えりもの森」
本木 洋子(著)高田 三郎(絵)

プロジェクトX 挑戦者たち Vol.17 えりも岬に春を呼べ(DVD)

動画(ムービー)



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