
後志支庁中央部にひとつだけぽっこり聳え立つ蝦夷富士。こういう名前が付いたのは
もちろん美しき富士山に似ているから。実際行って眺めてみると、この山が富士山に
本当によく似ていると思うはず。特に初春はてっぺんだけ雪をかぶっていてそっくり。
そんな蝦夷富士ですが、地図にはたいてい
「羊蹄山」(ようていざん)と表記されていま
すし、道民も羊蹄山と呼ぶことでしょう。しかしこれは実は略称だって知っていましたか?
この山の名称についての記述が出てくるのは
「日本書紀」のことでした。そう1300年も
前にすでに羊蹄山についての記述があったのです。
後方羊蹄山のはじまりはじまり~
そこで書かれた名称とは
「後方羊蹄山」。この漢字で「シリベシ山」と読ませましたが、
尻別岳(しりべつ)という別の山があって間違いやすい(しかも形も似ていて「ニセ羊蹄」
と呼ばれている)ので、そのまま漢字のとおり呼んで
「コウホウヨウテイザン」となり、
さらに長いので略するようになり
「ヨウテイザン」となりました。
そもそも「後方羊蹄山(しりべし山)」と呼ぶようになったのには、現在の後志支庁の
名前の由来となった尻別川(アイヌ語:シリペッ)がなまってこの地域を
「後方(シリヘ)・
羊蹄(シ)」と呼ぶことになったことが始まりでした。そこにあった大きな山が羊蹄山であり、
「後方羊蹄山」と呼ぶようになりました。
(ちなみに・・・アイヌの人たちは後方羊蹄山を女山という意味のマテネシリ、ニセ羊蹄
の尻別岳を男山という意味のピンネシリと呼んで夫婦関係にしていたようですね)
後方羊蹄山は「蝦夷富士」?「マッカリヌプリ」?

明治時代には「後方羊蹄山」と呼ばれていたり
「マッカリヌプリ」と呼ばれたり、
「マッカリ
ベツ山」となっていたり、
「マッカリ岳」「マクカリヌプリ」が正式名称であると公表された
こともあったようです。これはあまり知られていないことです。「マクカリ」「マッカリ」
とは現在山麓にある真狩村の由来ともなったもので、アイヌ語の
「マッカリペッ」つまり
羊蹄山を取り囲むように流れる川からきています。
明治38年には山麓にある倶知安村(現在の後志支庁所在地倶知安町)に
蝦夷富士
登山会が発足し、この「蝦夷富士」が親しみやすい名称であることから、一気に広まって
いき、現在では別名
「蝦夷富士」と呼ばれるようにもなっています。
だから、長年呼び続けてきた「後方羊蹄山」は正式名称ということになり、「蝦夷富士」
は愛称という位置付けになり、その他に簡略化した「羊蹄山」や「マッカリヌプリ」と呼ぶ
人もいるということです。でも道民はほとんど「後方羊蹄山」とは呼ばず、「羊蹄山」か
「蝦夷富士」と呼んでいますけどね。
後方羊蹄山について
標高1898m、火口をはさんで向かい側に1843mの北山があるがひとつの山頂のよう
にも見える。円錐の山でほかの山との接続は無く、きれいなシルエットを描き出す。山頂
部からは倶知安町、京極町、ニセコ町、喜茂別町、真狩村が直線の境界線を引いて
いる。山頂付近には宿泊小屋もあるので登山に便利。山のふもとの京極町側には
北海道三大名水で日本名水百選のふきだし名水がある。