旭川「スタルヒン球場」のスタルヒンって何のこと?

 旭川市花咲、国道40号線沿いの旭川北高や護国神社のならびにある謎の
球場(MAPはこちら)。あ、野球場がある……と思ってみてみると「え?スタルヒン?」
と、思わずびっくりした人も多いはず。

旭川スタルヒン球場って?

 旭川の人にとってはなじみのある球場ですが、道民でも野球を知らない人ならわからないかもしれません。旭川では英雄、伝説の人とされているヴィクトル・スタルヒンの名前にちなんだ野球場であり、日本の野球界で大きな功績を残した人です。

 日本の野球場で人名が冠されている球場はあまりありません。しかも、国内で初めて人名付きの球場名が採用されたのは、この旭川市スタルヒン球場だったといいます(カタカナの人名が入った球場は唯一)。

 もともとは旭川市営野球場。旭川スタルヒン球場と改称されたのは、1982年9月23日(命名式)のことです。それ以来球場にはでかでかと「スタルヒン」と書かれていますし、球場前にはシンボルでもあるスタルヒンの等身大の銅像も設置されています。プロ野球の公式試合や甲子園北海道北地区での試合も行われる場所ですね。

なぜ旭川にスタルヒン?スタルヒンってだれ?

 実は、スタルヒンは旭川市出身。1916年5月1日ロシア生まれ。政府からの迫害を受けて、わずか2歳のときに旭川市に一家で亡命してきました。地元の中学(現在の旭川東高)入学当初から凄腕の投手として知られ、中学3年生にして全日本に抜擢されました。

 その後1936年以降は東京巨人軍へ入団し、巨人のエースとして活躍し、1939年には日本記録の最多勝、さらにはMVPにまでなったのです。戦後にも大活躍を続け、1946年には史上初となる通算200勝、1955年には300勝を達成し、その名を国内に知らしめました。

 その年に現役を引退しますが、1957年には悲しいことに事故で死亡してしまいます。40歳でした。しかし、その功績をたたえる動きは多く、1960年の野球殿堂入りもありましたし、旭川市営球場の名前にもなりました。

 ということで、旭川では「旭川が生み育てた、地元が誇る大投手」として有名ですし、夏の道内高校野球において、北・北海道地区の試合が行われる場所としても有名ですね。甲子園を目指す北・北海道の球児たちにとってあこがれの存在なのです。


※須田博(すだひろし)という名前は、スタルヒンをもじった名前ですが、戦時中に仕方なく強いられてつけられた名前です。