札幌オリンピック
日本で、そしてアジアではじめて開催された冬季オリンピック札幌大会
(正式名称 第11回オリンピック冬季競技大会札幌大会)。改めて触れるまで
もない、道内史上最大のスポーツ大会で、世界に"札幌"が広く知れ渡る
きっかけとなった大会でした。開催されたのは1972年2月3日~2月13日の11
日間、札幌市の各地で競技が繰り広げられました。
当時は夏季五輪も同年開催。その年の夏季は東京開催の予定でしたし、 夏季五輪開催国、つまり日本が同年の冬季五輪開催可能であったことから、 札幌開催が1937年6月にIOCで了承され、翌1938年3月のカイロIOC総会で正 式に決定しました。それもつかの間、1938年7月、東京・札幌の五輪開催は "幻"に終わりました。
2回目の立候補は1968年第10回冬季五輪。立候補都市は6都市(札幌、グル ノーブル、カルガリー、ラハチ、オスロ、レークプラシッド)で、投票では 6票の4位ということで、投票1回戦敗退でした。
あきらめきれず3度目に挑戦。立候補都市は4都市(札幌、カナダ・バンク、 フィンランド・ラハチ、米国・ソルトレークシティー)。ローマIOC総会の投 票1回戦で32票、2位のバンクの倍の得票を得た1966年4月26日、念願の札幌 開催が決定しました。
※ちなみにその後も冬季五輪開催招致をしました。1984年サラエボオリンピ ックに立候補しますが、投票1回戦でトップに立ったものの、最後のサラエ ボとの投票では札幌36票で3票足らずに破れました。2016年オリンピ ック史上初の冬季夏季五輪開催都市となるべく夏季五輪にも立候補する動き がありましたが、辞退しています。
大会テーマソングは、フォークデュオ、トワエモワの「虹と雪のバラード」。 作詞は小樽市出身の詩人で医学教授の河邨文一郎氏。1971年発売のこの曲は、 札幌らしい音楽の一つとして今でも親しまれています。
世界との関係でいうと、同年に夏季五輪がドイツ・ミュンヘンで開催され たことから、札幌市とミュンヘンは姉妹都市提携を結んでいます。五輪閉会 式では、札幌市長が五輪旗を米国デンバー市長に手渡しているのも、大変珍 しいことでした(次回開催都市は当初デンバーだったが返上、後にオーストリ ア・インスブルックに変更となった)。
また、冬季五輪に合わせてさまざまな建設事業が行われました。札幌市中心街の市道(58km)は未舗装で砂ぼこりが舞うという問題もあり、北15条から南11条までが完全舗装されました。恵庭岳会
場へは、幌美内支笏湖温泉間の支笏湖畔有料道路が1967年に開通しました。
この道路は、1984年に建設費の返済が完了し無料化、現在は国道453号の一部
になっています。
札幌市内は近代都市化されたのもこの時期。特にそれを象徴していたのが 札幌市営地下鉄の開業でしょう。地下鉄南北線(麻生~真駒内間)のうち北24 条~真駒内間が先行開業しました。真駒内会場への交通アクセスとして一部 旧定山渓鉄道跡地を活用して建設され、1971年12月16日(五輪開幕1ヵ月半前) に開業しました。大通地下街のポールタウン、オーロラタウンも同年11月に 完成。
また、道内初の高速道路が開通したのもオリンピックに間に合わせてのこ と。1971年12月4日に小樽IC~札幌西ICが国道5号線の札幌小樽道路として開 業(後に札樽自動車道)、また同日、道央自動車道北広島IC~千歳ICも開通し ました。五輪に関連する一般道でも、五輪通と呼ばれる道路(道道82号)、五 輪時に改称された五輪大橋、1970年竣工の五輪小橋があります。
1970年に真駒内屋外及び屋内競技場竣工、真駒内地区には彫刻像も幾つも 配置されました。アイスホッケー会場となった月寒体育館、フィギュアスケ ート会場となった美香保体育館もこの時期に完成しています。スキージャン プラージヒル(当時90m)会場となった大倉山ジャンプ競技場は1970年に改修 され、ノーマルヒル(当時70m)会場となった宮の森ジャンプ競技場は1970年 に新築されました。
手稲山では、アルペンスキーの回転・大回転が開催されました。これに伴 って市が1970年にロープウェーを整備、後にテイネハイランドスキー場に転 用されました。リュージュやボブスレー競技場もここでしたが、1970年2月 完成の日本初のボブスレーコース「手稲山ボブスレー競技場」は、2000年を 最後に役目を終え現在は廃墟と化していますし、リュージュコースも大会後 撤去されてしまいました(現存する南区藤野リュージュコースは札幌五輪の 予備コースとして造成された)。
その他の調整としては、ボブスレーとリュージュの競技が行われるのに開 催国に団体がないのはおかしいとして、北海道の人たちが中心となり「日本 ボブスレー・リュージュ連盟」が急遽結成されたいきさつがあります。
札幌五輪は無事開催され、大成功で閉幕。半年後の8月には、IOC総会で札幌市にオリンピックカップが贈呈されました。これは札幌市と市民への感謝の品。でも、記念盾だけは大倉山ウィンタースポーツミュージアムにありますが、カップ自体は札幌市では保管されていないのが面白い。どこにあるかというと、スイスローザンヌのIOC本部です。
参加人数: 1006名
競技数: 6競技35種目(スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロン、 ボブスレー、リュージュ)
会場: 真駒内屋外競技場&屋内競技場、月寒体育館、美香保体育館、大倉山 ジャンプ競技場、宮の森ジャンプ競技場、及び手稲山、白旗山、恵庭岳
選手宿泊施設(オリンピック村): 南区真駒内緑町五輪団地
日本メダル数: 金1、銀1、銅1、合計3
行政側の支援: 開催五年前に公布・施行「札幌オリンピック冬季大会の準備 等のために必要な特別措置に関する法律」
札幌五輪開催まであゆみ
しかし、本当はその前、1940年に札幌オリンピックが開催されるはずだ った・・・というのは有名な話。中止理由は第二次世界大戦です。当時は夏季五輪も同年開催。その年の夏季は東京開催の予定でしたし、 夏季五輪開催国、つまり日本が同年の冬季五輪開催可能であったことから、 札幌開催が1937年6月にIOCで了承され、翌1938年3月のカイロIOC総会で正 式に決定しました。それもつかの間、1938年7月、東京・札幌の五輪開催は "幻"に終わりました。
2回目の立候補は1968年第10回冬季五輪。立候補都市は6都市(札幌、グル ノーブル、カルガリー、ラハチ、オスロ、レークプラシッド)で、投票では 6票の4位ということで、投票1回戦敗退でした。
あきらめきれず3度目に挑戦。立候補都市は4都市(札幌、カナダ・バンク、 フィンランド・ラハチ、米国・ソルトレークシティー)。ローマIOC総会の投 票1回戦で32票、2位のバンクの倍の得票を得た1966年4月26日、念願の札幌 開催が決定しました。
※ちなみにその後も冬季五輪開催招致をしました。1984年サラエボオリンピ ックに立候補しますが、投票1回戦でトップに立ったものの、最後のサラエ ボとの投票では札幌36票で3票足らずに破れました。2016年オリンピ ック史上初の冬季夏季五輪開催都市となるべく夏季五輪にも立候補する動き がありましたが、辞退しています。
札幌五輪の出来事
開会式は真駒内屋外競技場、一方の閉会式は真駒内屋内競技場でした。こ の真駒内地区が中心となっており、オリンピック村もここにありました。札 幌五輪では、日本冬季五輪史上初となる表彰台独占、金メダル獲得が話題となり ました(スキージャンプ70m級で笠谷幸生、金野昭次、青地清二、敬称略)。 中継アナウンサーの「飛んだ!決まった!」は名言の一つ。これ以降、日本 ジャンプ陣を「日の丸飛行隊」と呼ばれるようになりました。大会テーマソングは、フォークデュオ、トワエモワの「虹と雪のバラード」。 作詞は小樽市出身の詩人で医学教授の河邨文一郎氏。1971年発売のこの曲は、 札幌らしい音楽の一つとして今でも親しまれています。
世界との関係でいうと、同年に夏季五輪がドイツ・ミュンヘンで開催され たことから、札幌市とミュンヘンは姉妹都市提携を結んでいます。五輪閉会 式では、札幌市長が五輪旗を米国デンバー市長に手渡しているのも、大変珍 しいことでした(次回開催都市は当初デンバーだったが返上、後にオーストリ ア・インスブルックに変更となった)。
札幌五輪開催準備
また、冬季五輪に合わせてさまざまな建設事業が行われました。札幌市中心街の市道(58km)は未舗装で砂ぼこりが舞うという問題もあり、北15条から南11条までが完全舗装されました。恵庭岳会
場へは、幌美内支笏湖温泉間の支笏湖畔有料道路が1967年に開通しました。
この道路は、1984年に建設費の返済が完了し無料化、現在は国道453号の一部
になっています。札幌市内は近代都市化されたのもこの時期。特にそれを象徴していたのが 札幌市営地下鉄の開業でしょう。地下鉄南北線(麻生~真駒内間)のうち北24 条~真駒内間が先行開業しました。真駒内会場への交通アクセスとして一部 旧定山渓鉄道跡地を活用して建設され、1971年12月16日(五輪開幕1ヵ月半前) に開業しました。大通地下街のポールタウン、オーロラタウンも同年11月に 完成。
また、道内初の高速道路が開通したのもオリンピックに間に合わせてのこ と。1971年12月4日に小樽IC~札幌西ICが国道5号線の札幌小樽道路として開 業(後に札樽自動車道)、また同日、道央自動車道北広島IC~千歳ICも開通し ました。五輪に関連する一般道でも、五輪通と呼ばれる道路(道道82号)、五 輪時に改称された五輪大橋、1970年竣工の五輪小橋があります。
札幌五輪会場整備
会場はほとんどが札幌市内で行われましたが、唯一、千歳市の恵庭岳西側 では滑降競技が行われました。このコース造成に際しては、オリンピック史 上初めて環境問題を考慮して、山の斜面の樹木伐採後、植林を行う条件が付 されました。1970年に真駒内屋外及び屋内競技場竣工、真駒内地区には彫刻像も幾つも 配置されました。アイスホッケー会場となった月寒体育館、フィギュアスケ ート会場となった美香保体育館もこの時期に完成しています。スキージャン プラージヒル(当時90m)会場となった大倉山ジャンプ競技場は1970年に改修 され、ノーマルヒル(当時70m)会場となった宮の森ジャンプ競技場は1970年 に新築されました。
手稲山では、アルペンスキーの回転・大回転が開催されました。これに伴 って市が1970年にロープウェーを整備、後にテイネハイランドスキー場に転 用されました。リュージュやボブスレー競技場もここでしたが、1970年2月 完成の日本初のボブスレーコース「手稲山ボブスレー競技場」は、2000年を 最後に役目を終え現在は廃墟と化していますし、リュージュコースも大会後 撤去されてしまいました(現存する南区藤野リュージュコースは札幌五輪の 予備コースとして造成された)。
その他の調整としては、ボブスレーとリュージュの競技が行われるのに開 催国に団体がないのはおかしいとして、北海道の人たちが中心となり「日本 ボブスレー・リュージュ連盟」が急遽結成されたいきさつがあります。
札幌五輪は無事開催され、大成功で閉幕。半年後の8月には、IOC総会で札幌市にオリンピックカップが贈呈されました。これは札幌市と市民への感謝の品。でも、記念盾だけは大倉山ウィンタースポーツミュージアムにありますが、カップ自体は札幌市では保管されていないのが面白い。どこにあるかというと、スイスローザンヌのIOC本部です。
札幌五輪データ
参加国/地域数: 35カ国参加人数: 1006名
競技数: 6競技35種目(スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロン、 ボブスレー、リュージュ)
会場: 真駒内屋外競技場&屋内競技場、月寒体育館、美香保体育館、大倉山 ジャンプ競技場、宮の森ジャンプ競技場、及び手稲山、白旗山、恵庭岳
選手宿泊施設(オリンピック村): 南区真駒内緑町五輪団地
日本メダル数: 金1、銀1、銅1、合計3
行政側の支援: 開催五年前に公布・施行「札幌オリンピック冬季大会の準備 等のために必要な特別措置に関する法律」
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