スキージャンプの原田雅彦・船木和喜選手!
個人ノーマルヒル優勝1回、個人ラージヒル優勝1回、団体ラージヒル優勝1回。1980年代後半から、ノルディックスキーのジャンプで日本中を感動の渦に巻き込んだ、北海道出身の「ミスター・ジャンプ」原田雅彦(はらだまさひこ)選手は、2006年3月、力の限界とし、28年間に及ぶスキージャンプ現役引退を正式表明しました。その他にも、ジャンプ選手に北海道出身は多く、船木和喜(ふなきかずよし)選手、葛西紀明(かさいのりあき)選手がいます。
特に上川管内下川町では、ジャンプに力を入れています。トリノ五輪(2006年)では4人のジャンプ選手を輩出。町を上げて「ジャンプ少年団」を育成しています。町内市街地に近いところにもジャンプ台4基(ナイター可能:使用無料)が完備されており、スキーのジャンプを子供時代から楽しめるようになっています。
それ以降、数々の冬季オリンピックのスキージャンプに出場したり、世界選手権に出場したりし、ジャンプスキー競技で日本人最多の9個のメダルを獲得しています。ワールドカップは通算9勝でした。最も印象深かったのは、「長野オリンピック(1998年)」での団体ラージヒル金メダル、そして個人ラージヒル銅メダル。このころが最盛期でしたが、その後日本ジャンプ陣は低迷が続きました。
そして2006年トリノオリンピック。冬季五輪史上初となる5大会連続出場を果たしたものの、個人ノーマルヒル予選でまさかの失格。スキー板が体重に比べて、規定している長さよりも長いことが検査で発覚してしまいました。たった200gの"勘違い"(初歩的なミス)で、失格という事態になりました。大舞台ではこれが最後の出場で、後味の悪い引退となりましたが、日本ジャンプ界に名を残す最も活躍した選手といえます。その後所属チームのコーチとなりました。
→ 原田選手所属ジャンプ雪印のサイト
ワールドカップでは1994~1995シーズンで初参戦しノーマルヒルで初優勝。続くワールドカップでもラージヒルで優勝し、1997~1998シーズンで、オーベルストドルフ、ガルミッシュ、インスブルックの3大会でラージヒル優勝。総合順位では2位、週間総合順位でも日本人として唯一優勝という快挙を成し遂げました。
→ フィットスポーツサイト
特に上川管内下川町では、ジャンプに力を入れています。トリノ五輪(2006年)では4人のジャンプ選手を輩出。町を上げて「ジャンプ少年団」を育成しています。町内市街地に近いところにもジャンプ台4基(ナイター可能:使用無料)が完備されており、スキーのジャンプを子供時代から楽しめるようになっています。
原田雅彦選手とは
雪印乳業株式会社の「ジャンプ雪印」に所属する主将の選手。1968年5月9日、上川管内上川町で生まれました。スキージャンプを始めたのは小学校中学年のころからで、高校卒業後に雪印乳業に入社し、日本を代表するスキージャンプ選手として認められるようになったのは1990年代からのこと。1992年に開催された「アルベールビルオリンピック」個人及び団体ラージヒルで4位になったことから、世界中の注目を集めるようになりました。それ以降、数々の冬季オリンピックのスキージャンプに出場したり、世界選手権に出場したりし、ジャンプスキー競技で日本人最多の9個のメダルを獲得しています。ワールドカップは通算9勝でした。最も印象深かったのは、「長野オリンピック(1998年)」での団体ラージヒル金メダル、そして個人ラージヒル銅メダル。このころが最盛期でしたが、その後日本ジャンプ陣は低迷が続きました。
そして2006年トリノオリンピック。冬季五輪史上初となる5大会連続出場を果たしたものの、個人ノーマルヒル予選でまさかの失格。スキー板が体重に比べて、規定している長さよりも長いことが検査で発覚してしまいました。たった200gの"勘違い"(初歩的なミス)で、失格という事態になりました。大舞台ではこれが最後の出場で、後味の悪い引退となりましたが、日本ジャンプ界に名を残す最も活躍した選手といえます。その後所属チームのコーチとなりました。
→ 原田選手所属ジャンプ雪印のサイト
▼原田雅彦選手の軌跡
※1992年アルベールビル五輪で4位入賞を果たし注目を浴びる。翌1993年の世界選手権ではなんと見事優勝。これは1972年札幌五輪以来の快挙となった。その後不調となり、1994年五輪や1995年選手権でも成績はよろしくなかったことが伺える。特に1994年五輪の団体では、原田選手は最後に飛び、金メダルを逃した。1997年トロンヘイム世界選手権で復活、見事優勝を果たす。そして1998年長野五輪では2回目の大ジャンプで大逆転し銅メダル、団体で金メダルに輝いた。
| 大会年/名称 | 個人ノーマルヒル | 個人ラージヒル | 団体ラージヒル |
| 1991年(世界選手権)バルディフィエメ | 15位 | 17位 | 11位 |
| 1992年(五輪)アルベールビル | 14位 | 4位 | 4位 |
| 1993年(世界選手権)ファルン | 優勝! | 4位 | 5位 |
| 1994年(五輪)リレハンメル | 55位 | 13位 | 銀! |
| 1995年(世界選手権)サンダーベイ | 52位 | ||
| 1997年(世界選手権)トロンヘイム | 準優勝! | 優勝! | 準優勝! |
| 1998年(五輪)長野 | 5位 | 銅! | 金! |
| 1999年(世界選手権)ラムソー | 3位 | 6位 | 準優勝! |
| 2001年(世界選手権)ラハティ | 5位 | 33位 | 4位 |
| 2002年(五輪)ソルトレークシティ | 20位 | 20位 | 5位 |
| 2006年(五輪)トリノ | 失格 |
※1992年アルベールビル五輪で4位入賞を果たし注目を浴びる。翌1993年の世界選手権ではなんと見事優勝。これは1972年札幌五輪以来の快挙となった。その後不調となり、1994年五輪や1995年選手権でも成績はよろしくなかったことが伺える。特に1994年五輪の団体では、原田選手は最後に飛び、金メダルを逃した。1997年トロンヘイム世界選手権で復活、見事優勝を果たす。そして1998年長野五輪では2回目の大ジャンプで大逆転し銅メダル、団体で金メダルに輝いた。
船木和喜選手とは
フィット所属の余市町出身の選手。1975年4月27日生まれ。長野オリンピックでは個人及び団体ラージヒルで金メダル、個人ノーマルヒルでも銀メダルに輝いた実績を持ちます。そのころを全盛期として、その後は不振が続いています。ワールドカップでは1994~1995シーズンで初参戦しノーマルヒルで初優勝。続くワールドカップでもラージヒルで優勝し、1997~1998シーズンで、オーベルストドルフ、ガルミッシュ、インスブルックの3大会でラージヒル優勝。総合順位では2位、週間総合順位でも日本人として唯一優勝という快挙を成し遂げました。
→ フィットスポーツサイト
▼船木和喜選手の軌跡
※ フライング選手権。
| 大会年/名称 | 個人ノーマルヒル | 個人ラージヒル | 団体ラージヒル |
| 1995年(世界選手権)サンダーベイ | 38位 | 5位 | |
| 1997年(世界選手権)トロンヘイム | 4位 | 10位 | 準優勝! |
| 1998年(※選手権)オーベストドルフ | 個人フライングヒル優勝! | ||
| 1998年(五輪)長野 | 銅! | 金! | 金! |
| 1999年(世界選手権)ラムソー | 優勝! | 5位 | 準優勝! |
| 2001年(世界選手権)ラハティ | 32位 | ||
| 2002年(五輪)ソルトレークシティ | 7位 | 9位 | 5位 |
| 2003年(世界選手権)バルディフィエメ | 15位 | 16位 | 準優勝! |
※ フライング選手権。
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