道南・檜山管内、江差町の南に「上ノ国町」があります。これに対する
地名として「下ノ国」もあるわけですが、松前から見て、松前半島の西が
上ノ国、東が下ノ国でした。現在も町名として残っているのは上ノ国町だ
けで、下ノ国は現在の津軽海峡沿岸上磯町付近のことを言いました。
そんな上ノ国は、松前・江差同様北海道の歴史が詰まっている場所でも
あります。上ノ国には3つの館(たて)が存在していました。国指定史跡も
あり、2004年には北海道遺産に
「上ノ国の中世の館」として登録された歴
史的に重要な遺跡です。
上ノ国三館とは?
1.花沢館(はなざわたて)
2.洲崎館(すざきたて)
3.勝山館(かつやまたて)
1~3は時代順ですが、いずれもほぼ同時期で15世紀の館でした。そして
3つとも一人の歴史上の人物が関係しています。その人とは「武田信広」。
1つ目の
「花沢館」では、武田信広は補佐でした(守護は蛎崎季繁かきざき
すえしげ)。
しかし危機的状況が発生。1457年にアイヌのコシャマインが館を次々と
襲って攻め落としていったのです。道南にあった12ほどとされる館は陥落
していったものの、最後に残った2つのうち一つ、それが花沢館でした。
そこで武田信広はコシャマインを討って反乱を抑えました。この功績に
より、彼は先に書いた蛎崎家の婿になり新居として、2番目にある
「洲崎
館」を築きました。
以上の2つは、現在の上ノ国町市街地にあり、市街地の中心を流れる天ノ
川をはさんで向かい合うように建っていたようです。
勝山館は?
この勝山館は、後の
「松前藩」の基礎を築くものであり、重要でした。
武田信広は徐々に権力を握り、特に、北海道西海岸の交易権を手に入れた
ことで、新しく拠点として
「勝山館」を築きます。山の中腹に建てられ、
三段構えの山城だったようです。
ここで勢力拡大し、武田信広はここで亡くなります。また、後継ぎであ
る蛎崎光広は、拠点を松前に移し、松前藩がスタートしました。勝山館は
16世紀まで130年もの間、交易ルートの拠点として活躍しました。
一時は、箱館・松前・上ノ国と重要通商拠点であったものの、上ノ国の
すぐ北に位置する江差に行政拠点が置かれ、上ノ国は衰退していきました。
でも、かつて中世(室町時代)に、北海道のその後に大きな影響を与えたの
は確かです。
現在、
勝山館跡は上ノ国町随一の観光名所です。その横には
「夷王山」
(いおうざん)があって、頂上には夷王山神社があります。そこから見る景
色は格別です。江差・上ノ国を眼下に見ることができます。たまには歴史
を感じる旅もいいものです。
●今回の話題のまとめ
上ノ国にはかつて三館が存在した
「花沢館」コシャマインの戦いで陥落しなかった館の一つ
「洲崎館」反乱を鎮圧した武田信広の新居
「勝山館」交易ルートの拠点で勢力拡大・松前藩誕生の基礎
●北海道の歴史で見ると・・・
(初期)縄文時代・擦文文化・アイヌ文化
(鎌倉)流刑地時代・以降和人が道南に渡り和人社会形成
(室町)コシャマインの戦い ←<ココ!>
(江戸)松前藩誕生
(江戸)シャクシャインの戦い
(江戸)クナシリメナシの戦い
(江戸)箱館開港(ペリー)・箱館戦争
(明治)廃藩置県・開拓使設置・屯田兵
(明治)3県時代・北海道庁設置
(昭和)太平洋戦争