歯舞群島とは?

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 歯舞群島(はぼまいぐんとう)。ロシアが実効支配している北方領土の四島の一つです。郡村がある他の3島とは異なり、歯舞群島は根室市の一部です。アイヌ語の「ハ・アプ・オマ・イ(流氷が退くと小島がある)」に由来。ロシアも同じく「ハボマイ」と呼びます。戦前の日本は水晶諸島、珸瑤瑁諸島と呼んでいました。

 かつては珸瑤瑁村でしたが、合併により歯舞村所属になったことから、歯舞諸島と呼ばれるようになり、根室市となった後もその名が定着しました。2008年には国土地理院が歯舞群島に改称したことから、歯舞群島で統一されることになりました。

 歯舞群島というのは、面積99.94km2で、北方四島のうち2%の面積しかありません。以下の島々が根室半島納沙布岬沖合に続いています。主に5島をもって歯舞群島としており、ほかに付属小島があります。戦前には歯舞群島全体で852世帯5281人が生活していましたが、現在は季節移住者とロシア国境警備隊常駐のみです。

歯舞群島の地区別主要施設
水晶島: 学校、駅逓、根室警察署駐在所、北海道水産物検査所派出所、郵便局
勇留島: 学校、駅逓、北海道水産物検査所派出所、郵便局
秋勇留島: 学校
志発島: 学校、駅逓、歯舞村役場出張所、根室警察署駐在所、北海道水産物検査所派出所、郵便局
多楽島: 学校、駅逓、根室警察署駐在所、北海道水産物検査所派出所、郵便局

水晶島(すいしょうじま)

 アイヌ語「シショウ(大きい裸岩)」が由来。ロシア名「タンフィーリエフ」。面積13.71km2、海岸線延長32.2km。納沙布岬沖合7kmの距離にある島。江戸時代初期に無人島であり、1799年に根室と厚岸のアイヌが漁場として活用した後、根室アイヌの漁場になりました。

 戦前までに154世帯986人が生活していてカニ缶詰工場がありました。主な港湾として秋味場港・茂尻消港があり、税庫という港がありました。現在はロシア国境警備隊が常駐しています。小さなゴメ島などが付属します。

 根室半島側には小さな島が3つあります。「貝殻島」はアイヌ語「カイカライ(岩礁)」が由来。ロシア名「シグナリヌイ」。ロシア名にあるように傾いた灯台のみある島です。この灯台は1937年日本製。納沙布岬から最も近い3.7kmの距離にあり、肉眼で灯台を確認できます。面積約10m2。もちろん無人島です。「萌茂尻島(もえもしりとう)」「オドケ島(オドケとう)」もあります。

秋勇留島(あきゆりとう)

 アイヌ語「アキユリ(勇留の弟)」が由来。ロシア名「アヌーチナ」。面積2.73km2、海岸線延長10.5km。納沙布岬から13.7km沖合にある島です。
島全体はクマザサに覆われる平坦な島です。1799年に根室と厚岸のアイヌの入会地になり漁業がおこなわれました。戦前は14世帯88人が生活し昆布とタラを漁獲していました。税庫という港がありました。現在は無人島です。

勇留島(ゆりとう)

 アイヌ語「ユウロ(鵜の島)」が由来。ロシア名「ユーリ」。面積10.63km2、海岸線延長2.3km。海岸線の崖には鵜が生息しています。1799年に根室と厚岸のアイヌの入会地になり、後に根室アイヌの漁場になりました。

 明治時代には遠洋漁業などの拠点として繁栄した島。トコマ港が主な港湾で、税庫という港がありました。昆布漁も盛んでした。戦前には79世帯501人が生活していて、海産物加工工場や小学校が立地していました。

 この東側にある「春苅島(はるかるとう)」は、アイヌ語「ハルカルコタン(オオウバユリの鱗茎を採取する村)」に由来。ロシア語「ハルカル」。ハルカルモシリ島とも呼びます。面積2km2。上の島、中の島、下の島の3島で構成します。岩礁があり、暗礁が多い島。1799年に根室と厚岸のアイヌの入会地になりました。

志発島(しぼつとう)

 アイヌ語「シペオッ(鮭が群在するところ)」に由来。ロシア名「ゼリョーヌイ」。面積59.50km2、海岸線延長41.6km。歯舞群島で最大の島です。島には鮭漁が行われていた川があり、砂浜や沼があるほぼ平坦な島です。1799年に厚岸のアイヌの漁場になりましたがそれ以前は無人島でした。

 戦前には花咲郡歯舞村役場支所・東西2つの小学校があり、374世帯2249人が生活し昆布漁・タラ漁や畑作が行われていました。相泊港・台場港などがあり、税庫という港がありました。現在は夏に昆布漁のロシア人が移住するほか、ロシア国境警備隊が西浦泊に常駐します。

多楽島(たらくとう)

 アイヌ語「トララウク(皮ひもを取る島)」が由来。ロシア名「パロンスキー」。別名「多羅久島」。かつてアイヌがアザラシの皮を皮ひもにしていた。面積11.69km2、海岸線延長21.5km。平坦な島で、海岸には岩礁があります。おもな港湾に古別港があります。

 1799年には根室と厚岸のアイヌが入会地としてニシン漁などを行っていました。戦前に231世帯1457人が生活しており、小学校があり、昆布漁のほか放牧も行われていました。現在はロシア国境警備隊が常駐します。島の東側には「カブ島」「カナクソ島」「カブト島」「海馬島」があります。