本州と北海道を結ぶ青函連絡船はよく知られていますが、北海道と樺太
を結ぶ航路である
「稚泊連絡船」はあまり知られていません。
稚泊連絡船以前の様子
名前のとおり、
稚内と樺太の大泊(現在のコルサコフ)の間を結ぶ鉄道連
絡船です。1923年に開設され、1945年の終戦で樺太が日本領ではなくなっ
た後に廃止となりました。その間
約22年間でした。この海域は冬には流氷
が押し迫るため、
砕氷船が用いられました。また、吹雪や濃霧が多く航行
が困難であり、たとえば稚内防波堤では防波堤の位置を知らせる国内初の
吹鳴式打鐘挂燈浮標が設置されるなど、この海域独特の装置が誕生しました。
当時は1905年に日露講和条約締結により、南樺太が日本の領土となって
いましたが、鉄道はまだ稚内まで建設されていませんでした。それで日本
郵船株式会社によって、はじめは函館発小樽経由大泊着の航路が開設され
ました。ときは1905年8月21日、英国製
「田子浦丸」が就航しました。そ
の後、稚泊航路開設まではいくつかの航路が開設されました。
鉄道連絡船の開業
1922年に現在の南稚内駅(当時は稚内駅)が開業すると、国鉄稚泊航路開
設の準備が本格化。
1923年5月1日夜に稚泊連絡船は開業しました。就航し
たのは、別の航路で活躍していた
「壱岐丸」で、夏は隔日1往復、冬は5日
1往復で、所要時間は夏8時間、冬9時間でした。
※同年12月26日には現在の稚内港駅(現在の稚内駅)が、稚泊連絡船接続の
ために駅だけ(線路なし)で開業。線路が敷設されるのは5年後の1928年の
ことでした。ちなみに、現在の稚内駅から先、稚泊航路引込み線として
「稚内桟橋駅」が1938年10月1日(1939年2月正式開業)~航路廃止時までの
約7年間だけ、仮乗降場として開業していた時期もありました。現在の北
防波堤ドームの先に位置し、このドームは乗客を高波から守るため建築さ
れたもの。鉄道との接続では、上野~青森~(青函連絡船)~函館~稚内桟
橋~(稚泊連絡船)~大泊となり、函館~稚内桟橋間の急行は約23時間。
当時の賑わいを髣髴とさせる稚内港北防波堤ドーム」
開設当時は壱岐丸だけでしたが、同年6月8日には
「対馬丸」も加わる
のですが、わずか2年半後の1925年12月17日に2度目の座礁し引退すること
になりました。1度目の座礁は函館で修理しましたが、今度の座礁では船
体が折れたため、放棄されました。
そのピンチヒッターとして函館港から「田村丸」が翌年就航。1927年12
月8日には、対馬丸座礁の教訓を生かして最新鋭の船を造船、砕氷貨客船
「亜庭丸」が就航しました。初代就航の壱岐丸は1931年5月11日引退。
航路の廃止
亜庭丸とともに航路の後期を支えたのは壱岐丸の代わりに入った
「宗谷
丸」で、1932年12月22日就航でした。戦時下では宗谷丸がたびたび攻撃を
受ける時期が続きました。終戦間近の1945年8月9日には、ソ連軍が南樺太
へ侵攻、
南樺太からの引揚げがはじまりました。その際に引揚げ人員輸送とし
て運航され、18日以降は大泊発は定員オーバー並みで往復。
この引揚げ時には宗谷丸以外にも海軍や逓信省の船なども人員輸送にあ
てがわれ、うち第二新興丸、小笠原丸、貨物船の泰東丸はソ連軍や国籍不
明の攻撃にあって、留萌沖や増毛沖で沈没、1000人を超える死者が出てい
ます。合計輸送人数は約8万人といわれています。
1945年8月23日22:00大泊発には、ソ連軍航行禁止命令発令中であったにも
かかわらず定員の6倍の乗客を載せて出港。24日4:00に稚内に到着します
が、ソ連軍が大泊に進軍していたため、この便が事実上最後の運航となり
ました。こうして宗谷丸一隻体制のまま航路が(事実上)廃止されました。
その宗谷丸は後に函館へ移動して青函連絡船として活躍しました。
稚泊航路ヒストリー
1923年5月1日 稚泊航路開設「壱岐丸」就航
1923年6月8日 「対馬丸」就航(壱岐丸+対馬丸2隻体制)
1923年12月26日 稚内港駅(現在の稚内駅)開業
1924年11月26日 砕氷補助汽船「利尻丸」所属
1925年5月1日 「壱岐丸」「対馬丸」検査入院、「伏木丸」臨時就航
1925年12月17日 「対馬丸」ノシャップ沖で座礁全損(死者なし)、引退
1926年4月16日 函館港から「田村丸」応援、夏季限定臨時就航
1927年12月8日 「亜庭丸」(樺太亜庭湾に由来)就航(壱岐丸+亜庭丸2隻体制)
1931年5月11日 「壱岐丸」引退、函館へ回送
1931年6月2日 関釜航路「高麗丸」夏季限定就航
1932年10月30日 「高麗丸」帰還
1932年12月22日 「宗谷丸」就航(宗谷丸+亜庭丸2隻体制)
1938年10月1日 稚内桟橋駅(仮乗降場)開業
1945年6月20日 「亜庭丸」函館へ回送(函館で攻撃され沈没)(宗谷丸1隻体制)
1945年8月15日 終戦、樺太からの引揚げ人員輸送
1945年8月24日 稚泊航路廃止
1945年10月3日 「宗谷丸」は函館へ回送(11月29日から青函航路で活躍)
1999年5月1日 東日本海フェリー、稚内~コルサコフ間定期航路開設