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なぜ美瑛の丘が全国区に?

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なぜ美瑛の丘が全国区に?

 美瑛の丘が全国的に有名になったきっかけを作ったのは、風景写真家である前田真三氏が美瑛を訪れ、驚愕したこと。1971年7月12日のことでした。以後美瑛の丘に魅せられて、16年間東京~美瑛間を通うことになりました。

 その写真が美瑛を全国に知らしめました。こうしてポスター、CM、映画、ドラマでも登場していきました(以下のリスト参照)。ちなみに前田氏の写真館は「拓真館」となって、現在人気観光スポットの一つになっています。

 代表作は「麦秋鮮烈」と呼ばれるもので、かつて美瑛で栽培されていた赤麦種である「タクネコムギ」の赤い穂の畑を撮影したものです。近年栽培されていないに等しいものの、前田氏のこの作品の影響から、1999年に美瑛町有志により栽培が復活しました。

なぜ美瑛の丘が全国区に?

CM・ドラマに登場した美瑛町
・ケンとメリーの木(1976年日産スカイラインCM)
・マイルドセブンの丘(1978年JTマイルドセブンCM)
・セブンスターの木(1976年JTセブンスターパッケージ)
・パフィーの木(1997年ドラマ「ワイルドで行こう」)

 2004年には「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つに選ばれました。また、丘を利用した花畑も多くみられるようになり、北海道ガーデン街道のルート上にもなりました。

 この観光資源にもなっている美しい丘の景観を守るべく、美瑛町では種々の取り組みをしています。2003年に「美瑛の美しい景観を守り育てる条例」を制定したほか、「住み良いまち美瑛をみんなでつくる条例」が制定されました。2004年にはNPO法人びえい農観学園が設立され、都市と農村の交流がおこなわれるようになっています。日本で最も美しい村連合を2005年10月に設立したのも美瑛町です。

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