地下鉄東西線と東豊線はつながっている!? 2~3号連絡線の話

札幌市営地下鉄には南北線・東西線・東豊線の三つの路線があるが、東西線と東豊線がトンネルでつながっていて、車両が行き来できることをご存じだろうか。これを正式には「2~3号連絡線」と呼ぶのだが、それはどこにあるのか、なぜそれが必要だったのか、今回はその点についてご紹介したい。(写真は札幌市交通局提供)

2~3号連絡線の構造と施工

まずは地図を見ていただきたい。これは2~3号連絡線を大まかに示したマップである。大通り西6丁目の東西線大通駅西側を分岐し、大通公園北側の地下を通る。その後、札幌市役所付近で半径150mほどの急カーブを通過し、北1条西2丁目付近で東豊線・大通駅北側に出る。その構造上、東西線大通駅や東豊線大通駅には行くことができない。


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連絡線は単線だが、本線側には上下線行き来できるようポイントが設置されている。さらに、この地図ではわからないが、急勾配でもある。東西線大通駅西側を分岐するとすぐ下り勾配となり、その勾配は最大35パーミルとなり、東西線のさらに地下にある東豊線に合流する。

この連絡線は、札幌市交通局が発注、日本交通技術株式会社が設計し、大成・鉄建・地崎JVが施工、栄町駅~豊水すすきの駅間が先行開業した1988年に竣工した。道内で初めて土圧式加泥型シールド工法を採用し、延長約600m・シールド延長511.5m・掘削外径7.55m・直径7.4mの円形トンネル(大成建設)となっている。豊平川の扇状地である関係で困難な工事となり、シールド工法が採用されたわけであるが、1986年発行の「トンネルと地下、Vol.17、No.3」によると「シールド機には曲線部施工用の中折れ機構と滞水砂れき層止水用の2重管ダブルパッカ方式複合薬液注入機を具備させて、困難な施工条件に対処した」。この建設の際、東西線大通駅西側の湾曲転轍機への交換工事が行われたため、1987年3月22日に大通駅~西11丁目駅間が終日運転休止となったのを覚えている人もいるかもしれない。

2~3号連絡線はなぜ建設されたのか

実はこの連絡線はいまも毎日利用されている。東豊線の車両が主に毎朝と終電近くにこの連絡線を通っているのである。なぜここを通らねばならないかと言うと、東豊線上には車両基地が存在しないからである。東豊線の車両基地は東西線上にあるので、どうしてもこの連絡線を使わざるを得ないのである。

東豊線の車両は、東西線二十四軒駅~西28丁目駅間にある西車両基地に所属する形で、ここから毎朝東豊線の営業に出庫するのである。それで、西28丁目駅~西11丁目駅では、早朝に東豊線の車両を見ることができるというわけだ。車庫を出庫した車両は、東豊線さっぽろ駅まで回送された後、同駅から栄町行きとして始発運転する。逆の栄町発さっぽろ行きは開業当初こそ存在したが、さっぽろ駅で長時間停車しなければならないことや、連絡線に入る際に栄町方向の線をまたぐ必要があることから、1992年5月ダイヤ改正以降運行されていない(栄町から回送で西車両基地へ入る)。

では、なぜ東豊線の車両基地を東豊線上に置かなかったのだろうか。端的にいえば用地取得が難航したことに尽きる。栄町駅の北側に現在は検車線が設けられているにすぎないが、本来はこの先に東豊線の車両基地を建設する計画があったという。残念ながら実現しなかったため、東西線の車両基地を借りて連絡線を使って行き来することとなった(当初東西線の車両留置場所は西車両基地だったが、このために東車両基地に移転した)。

連絡線があるなら、東西線と東豊線を結ぶ電車があってもよさそうだが、と思うかもしれない。しかし開業当初、東西線の車両と東豊線の車両には大きさに違いがあったことを覚えておかなければならない。東豊線のほうがサイズが小さかったのである。現在の東西線8000形は東豊線も走れるサイズだが、営業運転の認可を得ておらず、車両編成数が異なるため走行は不可能とされる。一方、東豊線の車両は東西線に乗り入れることができるのだが、現時点で営業の予定はない。