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函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

JR函館駅前の老舗デパート「棒二森屋(ぼうにもりや)」が1月31日をもって閉店します。同店が現在地で営業を始めたのは、今から80年以上前の1937(昭和12)年。函館市民の大半にとって「物心ついた時からそこにあった」存在です。

▼閉店を記念して開催された写真展。一番左が現在地での開業当時の写真
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

とはいえ、棒二森屋は全国にここだけしかない単一のデパートであったため、地元在住者や出身者以外にはある意味謎の存在だったことも事実。そこで、棒二森屋の歴史と閉店に至る経緯、今後の見通しなどについて、函館在住のライターがあらためてご紹介しましょう。

金森赤レンガ倉庫との知られざる関係

▼扉に書かれた「Boni-moriya」の文字と商標
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

「棒二森屋」の店名は「Boni-moriya」「ボーニモリヤ」と書かれることも多く、旅行者や移転してきた人がその耳慣れない響きから外国語もしくは外国人の名前と誤解したという話もよく聞きます。

実はこの店名、同店のルーツをそのまま表したもの。明治維新後、国際色豊かな大都市として隆盛を極めた函館では、大正から昭和初期にかけて複数の百貨店が激しく競合していました。

そのうちのふたつが、箱館戦争が終結した1869(明治2)年に開業した金森森屋洋物店(後に金森森屋百貨店)と、はじめ上磯(現在の北斗市)に店を開き、1889(明治22)年に函館に店を移した棒二荻野呉服店。両デパートとも店舗の拡張を繰り返すとともに屋上にミニ遊園地や庭園を設け、さらには専用の無料バスを運行するなどのサービス合戦を行い、当時の函館に大いににぎわいをもたらしました。

▼金森森屋百貨店跡に建つウイニングホテル。金森森屋の外観を再現している
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▼棒二荻野呉服店の包装紙デザイン
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ところが、市街地の3分の1を焼き尽くした1934(昭和9)年の函館大火で棒二荻野呉服店は店舗を焼失。これを機に、函館では従来の市街地(西部地区)から函館駅前地区への人口移動が起こります。

そこで、棒二荻野呉服店は函館駅前への進出を計画。詳しい経緯は明らかになっていませんが、その後短期間でライバルであった金森森屋百貨店との合併話がまとまり、1936(昭和11)年に新会社が誕生します。店名は、両社の名前を組み合わせた「棒二森屋百貨店」となりました。そして1937(昭和12)年11月、函館駅前に堂々たる5階建ての近代的百貨店が完成し、営業を開始します。

▼函館駅前での営業開始を伝える新聞広告(左)
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▼同じく函館駅前での営業開始を伝える広告
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▼屋上には稲荷神社が設置された
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ちなみに、金森森屋の創業者・初代渡邉熊四郎は、その後函館港に面した場所で倉庫業を始めます。これが、あの「金森赤レンガ倉庫」の始まり。つまり、熊四郎が始めた小売業は棒二森屋に発展し、倉庫業は後に函館を代表する観光スポットになったというわけです(現在の棒二森屋と金森赤レンガ倉庫には経営的な関係はありません)。

そもそも「棒二」と「森屋」にはどんな意味が?

では、新会社の社名となった「棒二」と「森屋」にはそれぞれいったいどんな意味があるのでしょうか。

▼屋上に掲げられている「棒二」の商標
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まず、本来の意味から言えば、「棒二」は商標で、「森屋」が屋号です。商標(商号)とは、その会社を表すトレードマークのこと。これは、棒二荻野呉服店の創業者・荻野清六が近江出身の商人であったことに由来します。

近江商人は天秤棒に商品を担いで行商する地道なスタイルを商売の基本としており、「天秤棒一本で財を成す」と称されました。実際には予備としてもう1本棒を持ち歩いており、普段は杖代わりにしていたそうです。清六は遠く離れた北海道の地にいても近江商人の精神を忘れぬため、この天秤棒2本を商標としたと思われます。

▼棒二森屋の銘版
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一方、屋号の「森屋」は、金森森屋洋物店の創業者・渡邉熊四郎が奉公していた長崎の薬種問屋「森屋渡邉商店」に由来します。大分出身の熊四郎はやがて同店の養子となり、縁あって函館で店を開くに至りました。熊四郎はこうした恩義を忘れぬため、「森屋」を掲げたものと思われます。

棒二森屋の隆盛と衰退

棒二森屋誕生とほぼ時を同じくして日本は戦時体制に入り、終戦後もGHQの統制下に置かれたため、苦しい時代が続きました。1950年代に入り、朝鮮戦争による特需景気とそれに続く神武景気・岩戸景気からなる好況期が到来。さらに函館は北洋漁業の基地となったことで活況を呈し、棒二森屋も次々に売り場を拡張していきます。屋上には観覧車が設置され、夏にはプールが作られました。

▼昭和30~40年代の棒二森屋の広告
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この頃の函館には、「腹巻に札束をはさんだ漁師が夜ごとに豪遊した」「肩と肩がぶつかって歩けないほどだった」といったバブル的なエピソードがごろごろあります。

▼棒二森屋アネックス館
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時は流れ、1980年にイトーヨーカドーと長崎屋が相次いで函館の郊外に出店します。棒二森屋もこれに対抗し、若者をターゲットとした新館「アネックス」を1982(昭和57)年にオープンします。

▼アネックス館オープンを伝える新聞広告
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▼本館(左)とアネックス館(右)は空中の連絡通路と地下で結ばれた
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しかしながら、函館駅前地区から五稜郭地区、さらに郊外へと人口が移動するに連れて、人々が買い物する場所も徐々に駅前から郊外の大型店へと移っていくようになります。

▼80年代からの歴代制服
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デパートは次第に「あこがれの場所」「家族そろって休日に出かける場所」ではなくなっていき、「ここでしか買えないものがある」という優位性も失われていきます。とはいえ、棒二森屋は多くの函館市民にとって親しみのあるデパートであり、思い出の詰まった場所であり、何かあれば買い物に行く店ではあり続けました。その反面、一部の人を除けば「日常的に普段使いする店」ではなくなっていたのも事実です。

閉店に対する市民の反応は

▼1960年代に正面玄関内側に設置されたクマの彫刻
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新館「アネックス」オープン当時、棒二森屋はすでにダイエー傘下に入っていました。2005年にはダイエー子会社の中合(なかごう)傘下に入り、正式な店名も「中合 棒二森屋店」に。2015年にイオンがダイエーを子会社化したことで、今度はイオン傘下となりました。

そして2017年6月、イオンが棒二森屋の閉店を検討していると各報道機関が報道。売り上げの低迷と本館の耐震性不足を理由に「2019年1月31日をもって閉店する」との正式発表があったのは、1年後の2018年6月29日のことでした。

▼店内には感謝のメッセージが掲げられた
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これに対して、市民の間から大きな反対論が沸き起こることはありませんでした。これまでにも何度か「閉店するのでは」とささやかれる局面があったため、何となく心の準備ができていたからかもしれません。道内では百貨店が急速に減少していることから、「もはや百貨店という業態そのものが時代に合わなくなってしまった」との声も聞かれました。

前述の通り、多くの人にとって「なくなって欲しくはないが、なくなっても差し迫って困るわけではない」存在になっていたという要素もあるでしょう。「駅前の優れた立地なので、時代のニーズに合った新たな集客施設を建てて活用するほうが良いのでは」といった前向きな意見もあります。とはいえ、やはり閉店を惜しむ声は多く、閉店売りつくしセールには連日大勢の市民が訪れました。

▼閉店売りつくしとして、デパートならではの品物が格安で販売された
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

2018年11月、本館とアネックスをつなぐ連絡通路にメッセージボードが登場しました。来店者が記した棒二森屋へのメッセージのなかに多く見られたのは、「今までありがとう」という感謝の言葉。幼い頃や若き日の思い出をつづったメッセージも目立ちました。いかに棒二森屋が函館市民に親しまれ、生活に密着した存在だったのかが伝わってきます。

▼来店客の思いがびっしり詰まったメッセージボード
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▼メッセージの一部
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棒二森屋跡地はどうなるのか

▼開業当時からある外壁の浮き彫り
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

イオンは棒二森屋閉店後の跡地活用について、高層のマンション棟・ホテル棟とスーパーマーケットなどが入る低層の商業施設などを備えた複合施設をつくる案を示しています。これに対し、これまで棒二森屋と協力体制を築いてきた地元商店街は商業施設の拡充を希望しており、両者による協議が続いています。跡地の再開発までには5~6年を要すると見られています。

これに対し、都市計画の専門家らは「本館の増改築部分を撤去し、建設当時の姿に戻して活用する」との第3案を提示。本館を残してもマンション棟・ホテル棟の建設は可能で、全面建て替えより初期費用も安くなるとの見方を示しています。

一方、函館市は「駅前から巨大な商業施設が一気に消滅することは地域への影響が大きい」として、耐震性に問題がないアネックス館の存続を中合に希望。その結果、17店舗と2つの公益施設が入るテナントビルとして3年間程度存続することになりました。この中に中合直営の店舗はないため、このテナントビルは「棒二森屋の建物の一部を引き継いだ別の商業ビル」ということになります。

▼棒二森屋のハッピに袖が通されることは二度とない
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

いずれにせよ、「金森森屋」時代から数えると150年にわたって函館の歴史を見守ってきた棒二森屋は、その役目を静かに終えます。

記事の終わりに、函館を拠点に活動する講釈師・荒到夢形(こうとう むけい)さんが制作したオリジナルの講談「棒二森屋物語」をご紹介します。棒二森屋駅前開業80周年に合わせて作られたこの講談は、150年にわたって市民に愛されてきた棒二森屋の歴史を生き生きと語り、市民や棒二森屋関係者から喝采を集めてきました。

▼棒二森屋物語を上演する荒到夢形さん
函館「棒二森屋」が150年の歴史に幕―その店名が表すルーツとは?

夢形さんは講談の終盤で、棒二森屋の初代社長・荻野清六が屋上に設置した神社が「互福(ごふく)稲荷神社」という社名であることを紹介します。「売り手良し・買い手良し・世間良し」の「三方良し」の精神がその名に込められているのではないか――というのが夢形さんの考え。近江商人であった清六は、その精神を神社の名前にして後世に残したというわけです。

この講談は、再開発後の施設にも、清六が掲げた「三方良し」の精神が受け継がれて欲しい――という結びで完結します。函館市民の一人として、同じ思いを持たずにはいられません。

参考文献
函館市史
小池田清六『棒二森屋物語』(新函館ライブラリ)
金森赤レンガ倉庫20周年記念誌(金森商船)
『はこだでぃ』1992年冬号(幻洋社)
北海道新聞
函館新聞

協力
中合 棒二森屋店
講釈師・荒到夢形

筆者について

佐々木康弘

佐々木康弘

札幌市北区新琴似出身。30歳で函館に移住してからふとしたきっかけでライターの道へ進み、旅行情報誌やネット媒体などを中心に年間70万字以上を執筆。道南地域で毎年100本以上のイベントに足を運ぶイベントウオッチャーとしても活動。【Sクラス認定ライター】