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小平蘂村はなぜ小平町になったのか―1文字だけ削られた理由に迫る

留萌管内小平町。「こだいら」ではなく「おびら」と読むこの町は、留萌市に隣接しながら、その知名度はそれほど高くありません。この町の町名の歴史を紐解くと、かつて「小平蘂村(おびらしべむら)」と呼ばれていたことがわかります。なぜ1文字削られたのでしょうか。

小平蘂村はなぜ小平町になったのか―1文字だけ削られた理由に迫る

留萌町(留萌市)から分村した小平蘂村

小平町の歴史は古く、江戸時代の1782年に松前藩漁業請負人が、現在の小平町市街の南に位置する字臼谷と、北部の鬼鹿に近い字広富でニシン・サケ漁をはじめました。

1887年には北部の鬼鹿村が急激な人口増を記録し、戸長役場は鬼鹿に設置、1906年には天登雁村(現在の広富)が鬼鹿村に合併されるに至りました。有名な鰊番屋「花田家番屋」が建築されたのは、この鬼鹿の広富地区でした。

一方、南部の小平蘂は1919年7月に留萌町(現在の留萌市)から分村して誕生。留萌町大字三泊村のうち小平蘂、臼谷、鬼泊の3地域をもって二級町村制施行、小平蘂村とし、臼谷地区に役場を置きました。

このように、北部の鬼鹿村、南部の小平蘂村はその成り立ちに違いがありました。1956年9月30日には鬼鹿村を、小平蘂村から改称した小平村が編入合併し、10年後の1966年9月に小平町に町制施行し、現在に至っています。

「蘂」を書くのが大変だったから?

小平蘂(おびらしべ)という地名は、アイヌ語「オピラシペッ」(河口に崖のある川)、つまり小平町市街を流れる小平蘂川の名に由来しています。

村名改称の話は、小平蘂村が留萌町から分村した1919年当時、すでにあったといいます。昭和初期の1927年10月25日には留萌線(後の羽幌線)が開通しましたが、小平蘂市街地に新設された駅名は「小平蘂駅」ではなく、なんと短縮された「小平駅」でした。

自治体名と駅名が異なることや、「蘂」の文字の画数が多く、事務上不便であるということを理由に、村会では1927年、1929年に村名改称が議決されました。

1929年と1930年の二度にわたり改称許可申請を行ったようですが、改称の根拠が薄いとして却下。それ以来、村名改称は実現しないまま時は過ぎていきました。

しかし、戦後になって村名改称の機運が再び高まりました。国語改革により、「蘂」の文字が当用漢字から削られることになったのです。こうして1947年、村議会議決により、ようやく小平村に改称することが決まりました。改称年月日は1948年1月1日でした。

小平蘂村はなぜ小平町になったのか―1文字だけ削られた理由に迫る

ちなみに、道内には他に「蘂」を使う自治体がありました。2006年に北見市と合併した留辺蘂町です。野付牛村(現在の北見市)から分村した1915年当時は武華村(むかむら)でしたが、6年後の1921年に町制施行するにあたり留辺蘂町に改称しています。鉄道駅がすでに留辺蘂駅であったということもありますが、あえて難しい漢字の入った地名を選択したという点で、小平蘂の例とは対照的です。

「蘂」を削って「小平」となった小平町には、現在も小平蘂岳、小平蘂川、おびらしべ湖という名称で残されています。自然の名称を見る機会があれば、小平と小平蘂の歴史を思い起こしてみてください。

参考文献:『小平町史』

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