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開通から半世紀―函館本線・小樽~南小樽間のS字連続高架を振り返る

編集部
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開通から半世紀―函館本線・小樽~南小樽間のS字連続高架を振り返る

【小樽市】2014年9月27日、函館本線・小樽~南小樽間の連続高架橋が開通して50年の節目を迎えた。1964年の同じ日、市街地を貫くS字路線を高架化し、踏切による交通渋滞を解消したのだ。地元で待望だった高架化はいかにして行われたのだろうか。半世紀前にタイムスリップしてみよう。

単線&平面交差だったS字カーブ

小樽は北海道の鉄道の歴史が詰まっている地である。明治時代末期には、道内初の鉄道・手宮線が手宮から札幌方面に延びていた一方で、それとは別の函館本線が現在の小樽駅から函館方面に延びていた。それぞれ逆方向に進む2つの鉄路を、連絡線で無理矢理結んだのが、1905年8月1日に開通したS字線の小樽~南小樽間1.6㎞である。

しかし、市街地拡大、自動車の増加、列車本数の増加に伴い、平面交差の踏切では交通渋滞や事故が発生するなどしており、1950年代の後半になると、必然的に踏切撤去に関して地元の声が高まった。また、当時は単線で1日130本もの列車をさばいていたため、国鉄側としても複線化を希望していた。隧道(地下トンネル)にするか高架にするかの案があったが、経済的だった高架化が採用された。

▼第二花園町踏切のあった第一大通り
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▼第二花園町踏切のあった場所
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道内における立体高架化のさきがけ

高架化前は、工事区間の1.06㎞区間に平面交差による踏切が4か所あった。道路幅が最も広く交通量の多い第二大通(現・国道5号線)稲穂町踏切、それと並行する第一大通の第二花園町踏切、それと交わる嵐山通り第一花園町踏切、そして、第4種踏切で最も交通量の少ない妙見通踏切だ。

開通から半世紀―函館本線・小樽~南小樽間のS字連続高架を振り返る

付け替えと高架化にあたっては、それぞれ稲穂架道橋、花園架道橋、嵐山通り架道橋、商大通り架道橋が誕生した。1964年9月27日にまず単線で高架が供用開始となり、翌年8月までに複線化、完成した。交通量と列車本数が多い中で行う連続高架化工事は、当時としては道内で前例がなかったほどで苦労があったというが、1961年8月の着工から4年かけて難しい工事が完了、交通の便が良くなった。

そしていま

高架化された小樽~南小樽間の鉄道は、従来の路線に沿う線形で高架化したため、曲線の急カーブは大きく改善されたわけではない。そのため、小樽~南小樽間を走る列車はすべて現在も速度を落として走行している。

▼高架下商店街も
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高架下にできた空間には、道内初の高架下商店街の花園高架下商店街が約300mにわたり広がっている。複線高架として供用開始された1965年の12月24日に小樽ショッピングセンターとして開業したのが前身の商店街だ。北海道ではあまりお見かけしない高架下商店街もここに行けば見ることができる。ちなみに、この時に設立された小樽高架株式会社は、現在の北海道ジェイ・アール都市開発株式会社につながるとのことで、北海道の鉄道高架下の有効活用のルーツが小樽にある。

また、国道5号線をまたぐ高架の横には人道橋も設置されており、高架を走る列車を間近で見ることも可能だ。半世紀の歴史を持つ小樽高架を中心に小樽~南小樽間を散策してみるのも楽しいのでは。

▼映像:国道5号線にかかる歩道橋から間近に見る連続立体高架の列車


※参考文献:土木学会北海道支部技術資料第21号(1964)
※記事中写真:2010年時点の写真。現在閉店・解体しているお店・建物もあり(2013年末解体の三角ビルほか)

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