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利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役

編集部
Written by 編集部

利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役

【利尻富士町】「袋澗(ふくろま)」という言葉をご存知でしょうか?簡単に言うと『漁獲したニシンの一時貯蔵プール』です。北海道の日本海岸には、この袋澗が300か所も建築され、現在もその遺構が各地に残されています。

その中でも、利尻島・鴛泊にある袋澗は、特筆すべき存在。なぜかというと、大正時代に建築され100年近く荒波にもまれてきたにもかかわらず保存状態が良く、大型で、しかも現在も現役で使われています。貴重な存在である利尻島の袋澗がなぜ保存状態が良いのかを探ります。

そもそも袋澗とは?

袋澗は北海道の西海岸ならではの土木遺産です。今でも残っているものは海岸沿いの岩場に多く見られますが、石積みでできた防波堤のようなもので、小さな海のプールになっているところもあります。そのサイズや形状は様々で、たいていは海とつながる水路が設けられています。

袋澗がなぜ作られたのかというと、日本海側で明治時代から大正時代に栄えたニシン漁と深い関係があります。ニシンの漁期は春なので、強い季節風による時化に悩まされました。そのため、荒波をよけるための施設が必要となりました。

またニシンをいっぱい詰めた網を袋澗まで船で引っ張ってきて、波よけとなる袋澗内の海水でそのまま一時貯蔵していました。時化でも流されないよう、網に入れたまま生簀に入れている状態です。これは、冷凍庫もない豊漁時代ならではの貯蔵アイデアでした。

今も現役、利尻島産「泉の澗」別名「なまこ岩」

利尻富士町の海の玄関口・鴛泊港からペシ岬を越えて北側の海岸に、今回紹介する袋澗は位置します。セイコーマート利尻の裏側にあたります。[地図] その建築時期については不明ですが、地元在住の80代の方が幼少時に既にあったということと、近隣の同様の袋澗が大正時代に建築されたことから、大正時代以前の建築だと、利尻富士町教育委員会は推定しています。

同袋澗は、「柳谷袋澗」「泉の澗」と呼ばれるほか、地元では「なまこ岩」「泉のナマコ」とも呼ばれてきました。明治初期に柳谷三平氏がここに家屋を建築し漁場を開設したこと、そしてその後1948年に泉八三郎氏に転売されたことに由来します。ナマコといわれるのは、そのかまぼこ型の形状から建築用語の海鼠形に関係するとされています。

利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役
利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役
利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役

「泉の澗」は2007年8月にはじめて、町教育委員会による測量調査が行われました。それによると、上空から見た形状は手鍵状で、先端部が弧を描くかのようになっています。総延長は約67m、高さは根本部分が3m以上、先端部が1.5m、断面は台形。それに囲まれるプール部分は約500m2、水深1m未満です。

材料となる石は利尻島内のものを使っているとされ、約30㎝四方の間知石を3~7段積み、隙間にセメントを充填する「間知石練積工法」が採用されています。そのため、石と石の間の継ぎ目が白く見えるのが特徴です。上面を見ると、突起が幾つかあるのが見えますが、これは係船柱。現在も船留りとして現役で使われています。

▼根元の部分。石垣のような個所もある
利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役
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全盛期には利尻島の海岸線全域に30か所もの袋澗があったといいますが、現在は「泉の澗」のほか、利尻町側(南西海岸)の御崎、仙法志、久連の各地にその一部が残っている程度です。「泉の澗」に並ぶ貴重な遺構としては、島最大の網元だった平田兵助氏が建築した仙法志久連海岸の「平田の袋澗」があり、ニシン漁で栄えた大正時代の写真が利尻町立博物館に残されています。

▼利尻町立博物館の漁業コーナーには平田の袋澗に関する資料も展示されている
利尻島に残る100年前の産業遺産「袋澗」―状態が良く今も現役

「泉の澗」の保存状態が良い理由

しかし袋澗は、利尻島に限らず、長年の時化・波浪による劣化・崩壊や漁港への転換、道南においては1993年の南西沖地震により、徐々に失われてきました。その中で、利尻富士町鴛泊の「泉の澗」は当時の姿をそのまま残す貴重な存在です。なぜ現在も使われるほど状態が良いのでしょうか。

1つ目として、利尻島の袋澗は全体的に大型で強固なのが特徴です。それは前述の通り、島で間知石を作る安山岩が多く産出できたという要素も関係します。一方、袋澗が60か所もあったという礼文島では、これほどの石材は採れず大型化しませんでした。袋澗建築の歴史を紐解くと、初期は土塁石張型や木枠石詰型が採用され、後期にはより強固な間知石練積型が使われました。利尻は後者にあたります。

また「泉の澗」では、一つ一つの間知石の表面は四角ですが、立方体ではなく、奥のほうほど小さくなる四角錐のような形状であることが確認されています。この技術も耐久性に優れている一因と考えられています。

2つ目は近年設置されている消波ブロックの存在。袋澗の外側のカーブに沿うように並べられており、本体上面などにコンクリートの補強も見られます。これにより、荒波から袋澗本体が守られています。また、町が補修工事を行うなど、町をあげての保護活動もあり、今に至るまでその姿をほぼ完璧に保っているのです。

当時の姿をそのまま残す現役の土木遺産、利尻富士町鴛泊の袋澗「泉の澗」を、町では「生きた文化財」と呼んでいます。いつまでこの姿のまま残せるかわかりませんので、一度その目で見て、ニシン豊漁時代を偲ぶのも良いのではないでしょうか。

参考文献:利尻富士町教育委員会「利尻島鴛泊における袋澗の測量調査」(2008/3)

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