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夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

北海道ファンマガジンが今月の連載テーマに取り上げたのは、来年2019年4月1日に廃止されることが決定しているJR北海道の石勝線夕張支線です。

長きにわたって地元民の足となってきた夕張支線ですが、その軌跡にはさまざまなことがありました。連載第2回目の今回は、そんな夕張支線の歴史を振り返ります。はじまりはいつなのか、どんな列車が通っていたのか、紐解いていきましょう。(トップ写真提供:原田伸一氏)

夕張支線の誕生、栄光、そして衰退

▼1930年の鹿ノ谷駅構内
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

夕張支線の歴史は、実に明治時代にまで遡ります。当時の夕張は、産炭地として栄えていました。そこで1892(明治25)年、夕張炭田の運炭路線として、追分~夕張間の「夕張線」が開業。

さらに1981(昭和56)年になって石勝線が開業すると、追分~新夕張間が「石勝線」、新夕張~夕張間が「支線」となったのです。それまで追分~夕張間の名称だった「夕張線」は、その後も新夕張~夕張間の支線の通称となり、今では夕張支線と呼ばれているというわけです。

▼1970年元日の清水沢駅の様子(撮影:伊藤保則氏 提供:一般社団法人清水沢プロジェクト)
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

そもそも運炭路線として敷設された夕張線でしたが、石炭産業は1960(昭和35)年頃をピークに衰退していきます。1977(昭和52)年に最後の炭鉱が閉山されると、貨物の取り扱いも次々と終了し、夕張支線の各駅は旅客駅となりました。また1980年代には、鹿ノ谷駅や沼ノ沢駅が相次いで無人駅へとなっていきます。

▼現在の鹿ノ谷駅(写真は読者提供)
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

ところで、夕張支線の終端駅である夕張駅は、過去に2度も移設されていることをご存じでしょうか。

最初に夕張駅があったのは、現在「石炭の歴史村」が建っているあたり。しかし炭鉱閉山によって過疎化が進み、夕張市は主要産業を観光へと切り替え、市役所近くに夕張駅を移転したのです。1985(昭和60)年のことでした。

▼2代目夕張駅があった場所
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

その後、リゾート開発に伴い、ホテルマウントレースイ前に新駅を設置する案が浮上します。新駅は実現しませんでしたが、1990(平成2)年に代替案として夕張駅を移すことに。先の移転から、わずか5年しか経っていない中での3代目夕張駅の誕生となったのです。

▼現在、3代目となる夕張駅
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

蒸気機関車も速達列車も今は昔

かつて、夕張駅が日本中の鉄道ファンから注目を浴びたことがあります。1975(昭和50)年12月24日のことでした。その日、蒸気機関車による最後の列車、D51 241号による石炭列車が夕張駅を出発したのです。そのため、現在でも夕張は鉄道ファンの間では蒸気機関車終焉の地として知られています。

▼蒸気機関車D51 241号(写真提供:原田伸一氏)
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

また、夕張線時代には、札幌駅と夕張駅を結ぶ速達列車として準急「夕張」という優等列車も走っていました。準急が開始されたのが1961(昭和36)年。それから1972(昭和47)年まで運行されていましたが、残念ながら追分~夕張間だけは1966(昭和41)年に格下げされ、各駅停車になってしまいます。

▼かつての夕張鉄道(写真提供:原田伸一氏)
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

さて、古くは明治時代の北海道炭礦鉄道時代から国有鉄道時代、国鉄時代を経て、現在のJRとなった石勝線夕張支線ですが、かつてそれとは別に夕張鉄道というものが存在しました。北海道炭礦汽船が、石炭などの輸送目的に1924(大正13)年に設立したものです。

残念ながら夕張炭田の衰退により1975(昭和50)年には全線廃止となりますが、先に紹介した2代目夕張駅は、実はこの夕張鉄道の夕張本町駅構内跡地を利用したものでした。

▼大夕張鉄道の蒸気機関車(撮影:松原久氏 提供:みんなでつくる夕張の記憶ミュージアム)
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

この他にも、清水沢駅から大夕張炭山駅までを結んでいた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(1911~1987)や石勝線沼ノ沢駅から真谷地炭鉱までを結んでいた北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道(1913~1987)などもあり、夕張市には分岐したいくつもの鉄路が存在していました。夕張という土地が、いかに炭鉱によって栄え、支えられていたのかが、よく分かります。

▼夕張鉄道跡地のサイクリングロード
夕張駅は2度も移設されていた―石勝線夕張支線の誕生、栄光、衰退の歴史

かつて夕張支線とも並走していた夕張鉄道の跡地は、サイクリングロードとなりましたが、現在ではそれも封鎖されている箇所が多いようです。

夕張支線の歴史は、まさに夕張の炭鉱産業と共にありました。夕張市を支え続けた路線が廃止されることは、ひとつの時代の象徴なのかもしれません。

取材協力

写楽家 矢野友宏氏

夕張の記憶ミュージアム実行委員会
公式サイト
Facebookページ

筆者について

石簾マサ

石簾マサ

すべてのしがらみを捨て札幌で永住するぞ……と移住してきた50代のおっさんライター。札幌楽し~い。移住者が見た札幌の楽しさ・良さを伝えていければ……と思っております。【編集部専属ライター】