製紙産業が盛んな苫小牧・釧路

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 全国的にみて特に北海道が多いというわけではありませんが、道内には
大手製紙会社の大型工場が多く見られます。しかも町の発展に大きく貢献
した事例が少なくありません。日本の新聞用紙の半分が道内で生産されて
いるほど、製紙産業が盛んです。

道内の大手製紙工場をみてみよう

王子製紙株式会社 苫小牧工場 (1910年9月~)
王子製紙株式会社 釧路工場 (1960年10月~本州製紙工場として操業)
王子板紙株式会社 釧路工場 (上記工場内)
王子板紙株式会社 名寄工場 (1960年~天塩川製紙→北陽製紙)
王子特殊紙株式会社 江別工場 (1908年11月~富士製紙工場として操業)
日本製紙株式会社 白老工場 (1960年10月~)
日本製紙株式会社 旭川工場 (1940年6月~)
日本製紙株式会社 釧路工場 (1920年7月~)
日本製紙株式会社 勇払工場 (1943年4月~)

 エリア別に見ると、苫小牧エリアに3工場、釧路エリアに2工場、江別
・旭川・名寄に各1となっています。また、住所を見ると、旭川工場は旧
国策パルプ旭川工場だった日本製紙旭川工場がパルプ町という場所にあ
りますし、江別市や苫小牧市については王子町に位置しています。釧路
市新富士駅・新富士町は旧富士製紙からとったものです。製紙産業が地名
の由来になった事例です。

 道内には良質なエゾマツやトドマツが自生しており、パルプ用材とし
て利用されてきました。1960年に進出ラッシュとなっていますが、これは
1954年の洞爺丸台風で大量の倒木が発生し、パルプ処理のために製紙工場
がやってきたといういきさつもありました。

江別市と製紙工場

 道内初の大手製紙工場は江別にできました。他の製紙工場の多くは、
船での輸送を想定して、海岸沿いの町にできることが多いのですが、内
陸部の江別にできたのにはわけがありました。

 それは道内最大の河川「石狩川」です。石狩川上流から木材をいかだ
で運んできて、石狩川沿いにある工場で紙を作りました。完成したら、
幌内鉄道も開通していましたので、鉄道で輸送することもできました。

苫小牧市と製紙工場

 工場開設前は小さい漁業の村でしたが、1910年に王子製紙、1943年に
日本製紙(勇払)、1960年に隣接する白老町にも工場が建設されました。
以来、製紙産業に関しては国内最大のエリアとして栄えてきました。製
紙工場進出のおかげで道内随一の港湾都市になれたといっても過言では
ありません。

 苫小牧が選ばれた理由としては、山林が勇払原野、支笏湖周辺に豊富
であったこと、支笏湖の水資源を利用して電力を得ることができるとの
思惑もあり、製紙工場建築が計画されました。

※その製紙工場余剰電力の恩恵にあずかった企業の一つに、いまや化学製品製造大手となった電気化学工業(本社東京都)の前身・北海カーバイド工場(1912~1924)があります。

 王子製紙苫小牧工場は現在の王子製紙の前身となる「苫小牧製紙株式
会社」時代(1949年~1952年)がありました。王子製紙としては当時過去
最大級・国内初の新聞用紙生産工場で、現在も世界一の新聞用紙生産工
場という肩書きを持ちます。

 王子製紙と日本製紙は、それぞれアイスホッケーチームを持っています
が、いずれも道内を本拠地にしています。王子製紙は苫小牧市、日本製紙
は釧路市で、いずれも強豪チームです。