北海道拓殖銀行経営破綻とは何だったのか

拓銀の歴史

 本店は札幌で、特殊銀行から都市銀行になったという歴史があります。
つまり、北海道の開拓という大事業(拓殖)を経済的に支援する目的で設立
された政府の金融機関がはじまりだったということです。1899年に北海道
拓殖銀行法
という法律を制定して、1900年春に設立されました。当時は明
治時代ということで、開拓が始まったばかりという時期でした。

 具体的内容としては、拓殖債券を発行して道外から資金を調達し、道内
の農業などに融資を行いました。道内だけでなく、戦前までは樺太に支店
も持つようになり事業を拡大していきますが、終戦後はGHQにより業務停止
を命じられました。

 拓銀法が廃止された1950年には、民間の都市銀行として業務を引き継ぎ
営業することになります。都市銀行としても、北海道を基盤とし、大多数
の道内商業界や道民が利用する道内最大手の銀行として、引き続き成長を
遂げていきました。

経営破綻へのシナリオ

 1980年代後半のバブル期になると、遅ればせながら拓銀も不動産融資を
開始。中でもカブトデコムとソフィアへの建設費融資は非常に巨額なもの
でしたが、開業後は赤字、バブル崩壊後に不良債権となってあらわれてき
ます。

カブトデコム=2008年洞爺湖サミット主会場として知られる現在の「ザ・
ウィンザーホテル洞爺」を建設(1993年)、1998年営業停止、2002年売却
ソフィア=現在の「ガトーキングダム・サッポロ」(1988年旧札幌テルメ、
1993年テルメインターナショナルホテル札幌)を開発、1998年閉鎖

 1994年以降になると、信用ががた落ちになる時期に入り、1995年には開
業以来初の赤字決算
になり、ムーディーズでの企業格付けランクでEに位置
づけられるほど、弱体化していました。株価は安値を更新し続け、預金解
約も相次ぐようになります。

 1997年は拓銀破綻のうわさが絶えない年となり、実際11月17日、18日以
降の資金繰りの目処が立たないとして、経営破綻を発表しました。法人が
終焉を迎えたのは2006年のことで、106年間ということになります。

拓銀略史

1899年3月1日 北海道拓殖銀行法可決(22日公布)
1900年2月16日 総会開催、設立
1900年4月1日 開業、国策特殊銀行
1939年 北海道拓殖銀行法改正
1946年 GHQから業務停止命令
1949年 東京証券取引所上場
1950年 50周年、北海道拓殖銀行法廃止
1955年 都市銀行へ
1988年 不動産融資開始、カブトデコムにホテルエイペックス洞爺建設、
 札幌テルメ開業
1991年 テルメインターナショナル札幌建設
1993年 カブトデコムへの不正融資が明るみに、
 ホテルエイペックス洞爺開業
 テルメインターナショナル札幌開業
1995年 開業以来初の赤字決算
1997年 株価200円割る
1997年春 道銀との水面下での合併構想発表
1997年9月 道銀との合併構想延期、株価100円割る
1997年11月3日 三洋証券経営破綻により資金調達困難に
1997年11月15日 臨時取締役会で営業停止を決定
1997年11月17日 経営破綻
1998年2月17日 本州分を現・中央三井信託銀行へ譲渡決定
1998年6月26日 株主総会
1998年8月27日 上場廃止
1998年10月 特別背任罪で元頭取逮捕
1998年11月13日 損害賠償請求訴訟初提訴、全営業廃止
1998年11月16日 北洋銀行・中央三井信託銀行へ営業譲渡
1999年3月2日 元頭取逮捕
1999年3月31日 解散
2003年2月27日 特別背任事件、札幌地方裁判所で無罪判決
2006年1月31日 臨時株主総会、清算終了
2006年2月6日 法人登記抹消
2006年8月31日 特別背任事件、札幌高等裁判所で実刑判決
2008年1月28日 最高裁で旧役員が3件で敗訴、訴訟5件総額101億4千万円で解決

道内の大手銀行

 拓銀破綻直前には、合併先や営業譲渡先を探すなどいろいろなニュース
が飛び交いました。最初に営業譲渡先案となったのは北海道銀行、そして
札幌銀行、最後に北洋銀行でした。道外については、現在の中央三井信託
銀行に譲渡されました。北海道銀行では行員が統合に反対し、計画は立ち
消えになって、最終的に北洋銀行になり、109店舗、預金約2兆7千億円を
引き継ぎました。

 北洋銀行は1917年8月20日北海道無尽として設立の第二地方銀行です。
拓銀を継承する前には道内3番手の銀行であり、その後は道内最大手です。
1951年3月5日に設立された地方銀行の北海道銀行(道銀)は、2004年に北陸
銀行とほくほくフィナンシャルグループを設立して経営統合しています。