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明治から道民を夢中にさせてきた野球―貴重な写真と共にその歴史に迫る

石簾マサ
Written by 石簾マサ

いつの時代も、どの場所でも、人々の心を熱くさせてきた野球というスポーツ。ここ北海道でも例外ではありません。野球は実に開拓使時代から道民を夢中にさせてきたのです。その歴史を紐解くと共に、現在の野球ファンが心驚かせること間違いなしの展示会を紹介しましょう。

意外と歴史の深い北海道野球

▼札幌農学校の野球部員たち(創設してすぐの頃)(北海道大学大学文書館所蔵 写真提供:北海道博物館)
明治から道民を夢中にさせてきた野球―貴重な写真と共にその歴史に迫る

日本に野球が伝えられたいきさつには諸説ありますが、そのうちのひとつに北海道にゆかりのある話があります。1873(明治6)年に開拓使が現在の東京都港区に開いた札幌農学校の前身である仮学校に、アメリカから赴任した教師が、持参したバットとボールで生徒たちにベースボールを教えたというものです。

そして1876(明治9)年に、札幌に札幌農学校(現在の北海道大学)が開校し、札幌でも校庭でベースボールが続けられました。1877(明治10)年にバットとボールの製作を依頼した文書が残っています。

▼札幌農学校がバットとボールの製作を依頼した資料(北海道大学大学文書館所蔵 写真提供:北海道博物館)
明治から道民を夢中にさせてきた野球―貴重な写真と共にその歴史に迫る
明治から道民を夢中にさせてきた野球―貴重な写真と共にその歴史に迫る

札幌農学校からはじまった野球は、明治30年代には小樽高商(現在の小樽商科大学)や札幌師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)など広がりをみせ、対外試合なども行われるようになっていきました。

やがて選手だけでなく応援団や応援する人たちも熱中するようになり、それが加熱してしばしばいざこざを起こすまでに。1910(明治43)年には、とうとう北海道庁立の中等学校野球の対外試合が禁止されてしまいます。それは10年近く続いたといいます。

高校野球

甲子園大会(いわゆる「夏の甲子園」)は1915(大正4)年に、全国中等学校優勝野球大会としてはじまりましたが、北海道は対外試合が禁止されていたため、はじめて甲子園に参加したのは1920(大正9)年に行われた夏の甲子園の第6回大会でした。

▼野球とテニスの対外試合が中止になったことが書かれた校長日誌(北海道小樽潮陵高等学校所蔵 写真提供:北海道博物館)
明治から道民を夢中にさせてきた野球―貴重な写真と共にその歴史に迫る

2017年現在、北海道高等学校野球連盟には、硬式で228校、軟式で15校が加盟しています。ちなみに「春・夏の甲子園」を通して北海道勢の優勝は2004年と2005年の2回で、どちらも駒澤大学附属苫小牧高等学校が栄冠を手にしています(どちらも夏の甲子園大会)。

夏の甲子園で北海道勢ではじめて優勝した駒澤大学附属苫小牧高等学校(2004年)(一般財団法人北海道高等学校野球連盟所蔵 写真提供:北海道博物館)
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大学野球

大学野球は、1912(明治45)年に現在の北海道大学と小樽商科大学の硬式野球部の定期戦がはじまりでした。東京六大学野球に日本中が熱中していた昭和戦前期、この2校の戦いは北の早慶戦と呼ばれていました。

現在では、札幌学生野球連盟、北海道学生野球連盟、北海道地区大学準硬式野球連盟、北海道地区大学軟式野球連盟のもと、それぞれの一部リーグを頂点とした熱い戦いが繰り広げられています。

▼北大予科と小樽高商との定期戦について記された日記(小樽市総合博物館所蔵 写真提供:北海道博物館)
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社会人野球

社会人野球では、最古のクラブチームが現存します。それは函館太洋倶楽部で、1907(明治40)年に結成されました。それ以来、北海道の各地に企業チーム、クラブチームが次々と誕生していきました。1960年代~1980年代が企業チームが社会人野球をリードした黄金時代でした。

現在では企業の撤退が相次ぎ、企業登録の社会人野球チームはなくなりました。ちなみに現在では、10数のクラブチームが火花を散らしています。

▼函館太洋倶楽部と芽室野球倶楽部、対戦後の記念撮影(芽室町役場所蔵 写真提供:北海道博物館)
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筆者について

石簾マサ

石簾マサ

すべてのしがらみを捨て札幌で永住するぞ……と移住してきた50代のおっさんライター。札幌楽し~い。移住者が見た札幌の楽しさ・良さを伝えていければ……と思っております。