"> ">「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語に―川湯温泉出身横綱「大鵬」とは – 北海道ファンマガジン [ファンマガ]
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「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語に―川湯温泉出身横綱「大鵬」とは

編集部
Written by 編集部

【弟子屈町】2013年1月19日、北海道が生んだ名横綱・「大鵬」こと納谷幸喜(なや・こうき)さんが亡くなった。ライバルと柏鵬時代といわれる黄金時代を築き、大相撲史上最多の幕内優勝32回を記録したことで知られる「大鵬」のその軌跡を改めて振り返る。

生まれは樺太だった。1940年に亡命していたウクライナ人のコサック氏の三男として生まれたのだ。その後、母親とともに引き揚げ船「小笠原丸」で北海道へ引き揚げることとなるのだが、稚内で途中下船、攻撃を受けて沈没する同船の悲劇から難を逃れたと言われている。子供時代の生活は貧しく、まだ子供であった彼自身が納豆を売り歩いたり新聞配達をするほどであった。さらに、母親の再婚相手が教師であったことから、夕張・斜里など道内を転々とした。中学卒業後は弟子屈高校の定時制に通いながらも仕事をした。

そんな中、1956年に二所ノ関が訓子府町に巡業に来た時に彼が紹介され、二所ノ関部屋に入門した。いわゆるスカウトだった。子供のころに相当苦労したこともあり、稽古は苦にならなかったと言う。その後、彼はめきめき頭角を現し、1959年に18歳で新十両昇進、翌年初場所にて新入幕、12勝を挙げて敢闘賞を受賞。同年11月場所では、13勝を挙げて初優勝し、20歳で大関昇進となる。翌年21歳のときに柏戸剛とともに横綱昇進。新入幕から11場所での横綱昇進は歴代最速とされた。

横綱時代の日本は高度成長期。東西横綱のライバル・柏戸剛と競い合い「柏鵬時代」という黄金時代を築くことになる。とはいうものの大鵬が圧倒的に強く、1962年7月場所から1963年5月場所まで6連覇、1966年3月場所から二度目の6連覇を果たす。また、1968年9月場所から1969年3月場所まで45連勝も記録。1971年に32回目の優勝を果たすも、同年5月場所で貴ノ花に敗戦すると現役引退を表明した。しかし、その圧倒的強さや体格や美しさは子供たちからも人気を得、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉も誕生した。引退後は大鵬部屋を創立した。2009年には相撲界としては初めて文化功労者に選ばれている。

「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語に―川湯温泉出身横綱「大鵬」とは 現在、圧倒的強さを誇った横綱・大鵬の故郷・弟子屈町川湯温泉街には「弟子屈町川湯相撲記念館」があり、第48代横綱の大鵬幸喜に関する優勝額・写真資料等400点を展示する。大鵬ファンにはたまらない記念館であるはずだ。「巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書」と題する自伝を読んだ上で訪れていただきたい。

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