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蟹工船と小林多喜二とプロレタリア

 2008年に流行語トップ10入りした言葉で、北海道に関係する言葉があり ます。それが「蟹工船」(かにこうせん)です。2008年は、格差社会の問題 と重なる部分があり、発表後80年という遅咲きのブーム再来となりました。 というわけで、今回は、蟹工船とその作者について紹介します。

蟹工船と小林多喜二とプロレタリア

蟹工船の作者・小林多喜二ってどんな人?

 蟹工船という小説は、小林多喜二の代表作品です。1903年10月に秋田県 に生まれ、幼少時代の4歳の時に小樽に移住しました。学生時代も小樽で 生活し、拓銀小樽支店に勤務しました。実は銀行マンだったのです。1933 年に29歳という若さで殺害されるという悲劇の人生を送った人でもありました。

 こうして小樽を中心に北海道で生活していたこともあり、作品の随所に 北海道の当時の様子が描かれています。そのいくつかを紹介。

「東倶知安行」:1928年第1回普通選挙運動支援に際し羊蹄山山麓の町(東倶知安は現在の京極町)へ行く。
「防雪林」:石狩原野と氾濫する石狩川、自然を描く。副題は「北海道に捧ぐ」
「不在地主」:北海道の小作争議を描く作品。
「工場細胞」:小樽の工場で働く労働者が立ち上がる様子を描く作品。

 彼は若いころから創作活動を行っていました。現在の小樽商科大学に在 学中も校内誌に投稿したり、「クラルテ」という小樽の同人誌を創刊する などしていました。

 脚光を浴びるようになったのは「1928年3月15日」という作品。この作品 は、3・15事件(共産党弾圧事件)で検挙された小樽の人たちを描いたもので した。

 「蟹工船」「不在地主」を道内で書き上げたのち、1930年に東京へ出向 き、「工場細胞」を発表しました。一時期逮捕され5か月刑務所にいたのち、 「オルグ」「安子」などの作品を次々に発表、1933年2月20日に治安維持法 違反で特高警察に逮捕され、その日に拷問死しました。

プロレタリア文学とは
 小林多喜二はプロレタリア文学の代表的人物の一人でした。プロレタリア 文学とは、大正末から昭和初期にいたるまでの共産主義思想に基づく社会主 義的文学のこと。「戦旗」という雑誌をプロレタリア文学の代表雑誌に押し 上げたのは彼による作品投稿によるところが大きいといわれています。
 しかし、プロレタリア文学は、当時のファシズム体制からみると厄介者扱 いとみなされ、厳しく弾圧を受けました。

蟹工船

 小林多喜二のプロレタリア文学の代表作品として知られています。冒頭は 函館を出港する際の一言「おい地獄さえぐんだ」で始まります。戦前、オホ ーツク海でカニを漁獲し、漁獲後船内で缶詰を製造するための船「蟹工船」 を描いた重々しい内容の作品です。

 この蟹工船に乗り込んだ労働者は酷使され、まさに奴隷的扱いであったこ とが分かっていますが、その様子がこの作品から伝わってきます。その労働 者たちが立ち上がる様子を描いています。

当時の缶詰工場について

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小林多喜二と現代

 この「蟹工船」。現代の格差社会、ワーキングプアに通じるものがあり、 2008年はブームとなりました。小説は例年の100倍売れたといわれています。 火付け役となったのは、同年1月にある新聞で現代のフリーターと似ている と紹介され、若い人たちが読むようになったこと。そして「マンガ蟹工船」 が2006年11月に出版されていたこと。

 2008年にはHBCがドキュメンタリー番組を制作しました。映像作品として は1953年に映画が製作されていますし、2009年に映画化されます。また、 読書感想文コンテストも開催され、2008年の小林多喜二命日に授賞式が 小樽市で開催されました。

 小樽市旭展望台付近には、小林多喜二文学碑が建立されています。彼の 墓は小樽市奥沢・奥沢共同墓地にあります。

筆者について

編集部

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