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赤平名物「がんがん鍋」って何?炭鉱の町で育った郷土料理の歴史に迫る!

編集部
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かつては炭鉱の町として栄えていた赤平市。1994年に最後の炭鉱が閉山した後、ふたたび町に活気を呼び戻そうと白羽の矢が立てられたのがなんと「ホルモン鍋」。郷土料理だった「ホルモン鍋」を「がんがん鍋」と命名し、赤平の元気復興料理として広めようと活動を続けている人たちがいます。

ではなぜ「ホルモン鍋」なのか? なぜ「がんがん鍋」と名付けられたのか? 気になるところを取材してきました。

▼お話しを伺った「赤平がんがん鍋協議会」代表の滝本守さん(右)と事務局長の植村真美さん(左)
赤平名物「がんがん鍋」って何?炭鉱の町で育った郷土料理の歴史に迫る!

炭鉱の町だからこそ誕生した名物料理

「がんがん鍋」は、もともと「ホルモン鍋」と呼ばれていて、赤平市では普通に食べられているものでした。炭坑で働く人たちは、仕事が終わったあと、仲間同士で団らんやレクリエーションを楽しむことが常だったそうです。炭坑の仕事は命がけの仕事、だからこそ仲間同士のコミュニケーションが重要だったのです。

レクリエーションのあとには、外で炭鉱仲間と七輪を囲みながら、また家では石炭ストーブの上でぐつぐつと熱しながら鍋をつついていたといいます。鍋の中身は、豚のホルモン。労働の過酷さから、すぐにエネルギーになるものが好まれていました。

炭鉱が閉山すると、赤平市の人口は徐々に減っていきました。全国的に炭鉱の町として知られていた赤平が、このままでは誰も知らない町になってしまう。そうした危機感から、有志が集い、なんとか活気を戻さなくては、そのために何か名物を作ったらよいのではないかと模索しはじめました。

まずは赤平ならではの料理を生み出そうといくつかの案が出たのですが、すべてありきたりなものばかり。赤平の名物料理と呼ぶには、決め手に欠けていました。計画は、すっかり暗礁に乗り上げてしまいました。

そんな折、2004年に「第一回炭坑節全国大会」が赤平で開催されたのです。その大会を企画しているとき、赤平は炭鉱の町、炭鉱で働いていた人たちが食べていた鍋があったことをふと思い出したのです。それこそが「ホルモン鍋」でした。

赤平ではあまりにも普通に食べられていたため忘れられていましたが、第一回炭坑節全国大会でホルモン鍋が提供されたことをきっかけに、かつての炭鉱町にふさわしい料理はこれではないかと誰もが思ったのです。

以前は単に「ホルモン鍋」と呼ばれて地元民に愛されていましたが、正式な名称があるわけではありません。せっかくだから何か名前を考えようということで、付いた名前が「がんがん鍋」でした。「ストーブをガンガン焚いて、ガンガン煮込み、ガンガン食べて、ガンガン語り、ガンガン働く」といった当時の炭鉱長屋の生活への思いから命名されました。

さらに「赤平がんがん鍋協議会」が発足し、いよいよ本格的な取り組みがスタートします。まずは「がんがん鍋」の定義を明確にしました。定義といっても難しいことは何もありません。「味噌ベースで豚ホルモンを使うこと」、たったこれだけです。味噌ベースで豚ホルモンを使った鍋料理なら、あとは自由。それぞれの店に託されるため、実にバラエティ豊かな「がんがん鍋」が出揃いました。

▼2006年にがんがん鍋を試作したときの様子
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