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ハッカ産業はかつて世界一だった

編集部
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 ハッカといえば北見。かつては世界最大のハッカ生産量を誇っていた時 期もあり、現在もその名残がある街です。

ハッカ産業はかつて世界一だった

道内ハッカ事業誕生ヒストリー

 ハッカというのはしそ科の多年草でハーブの一種です。9月中旬から収穫 をはじめ、最大2週間乾燥させた後、水蒸気蒸留で蒸し、蒸気を冷やして取 卸油(とりおよしゆ)を抽出しています。それを工場でさらに冷却し、結晶 と油に分け、油のほうをハッカ油として出荷するわけです。日本ハッカは 西洋のものよりもメンソールの含有量が多いことが特徴です。道内では 「あかまる」などの品種が栽培されていました。

 国内では平安時代にすでに栽培が始まっていたようですが、北海道にお けるハッカ生産のルーツは当時日本最大のハッカ産地だった山形県です。 そこからの移住者が明治時代に北海道にハッカ栽培をもたらしたというわ けです。

 1884年には現在の日高町門別、1885年には八雲町徳川農場で栽培しよう としますが、栽培が広まりを見せたのは旭川や北見でした。1890年に山形 出身の屯田兵・石山伝兵衛氏が旭川市永山で栽培に成功。1896年には会津 若松出身の渡部清司氏が旭川からハーブ種根をもらって現在の網走管内湧 別町で栽培に成功。一方そのころこれまた山形出身の小山田利七氏が網走 管内遠軽町でハッカ栽培をしていたといいます。

北見でのハッカ生産

 こうして北見地方でのハッカ栽培の基礎が据えられました。栽培地域は 拡大し、現在の北見市にもハッカ栽培の波がやってきます。この地ではじ めたのは1902年、野付牛屯田兵の伊東伝兵衛・長次郎兄弟だったようです。 気温の年較差は大きく、少雨という気候的要因ゆえに、この地域は栽培に 適していたようです。

 ハッカが他の農作物に比べて収益が多い(最大10倍とも言われた)という こともあって、北見を中心にハッカ栽培農家が急増しました。北見でのハ ッカ栽培が始まってたったの8年後には1000ヘクタールになっていました。 中にはハッカ栽培で富豪になる者が現れ、その一人が五十嵐弥一氏。現在 北見市に「ハッカ御殿」として住居が残されています。

 ハッカ景気によって国内・世界から業者がやってきて買い付けをし、ホ クレンも取引を始めるなど、この地域は活気を帯びてきました。1933年11 月にはホクレンによりハッカ工場(現在の北見ハッカ記念館・薄荷蒸留館の地)が操業を開始 し、本格的に世界に輸出されるようになります。

 こうして北見のハッカは最盛期を向かえ、1939年には世界ハッカ市場の 7割が北見ハッカ工場産で、この地の作付面積は約2万ヘクタールに達しま した。しかし1940年代以降になるとさまざまな要因により、生産が衰退し はじめます。

ハッカ生産の衰退、そして現在

 (1)戦時下の1940年、ハッカ栽培は7割強制減反されました。薄荷耕作組 合を結成した戦後には輸出が可能になり多少ぶり返しましたが、(2)ブラジ ルなど外国製ハッカ製品に押されて減少。(3)1960年代には合成ハッカの誕 生でますます生産は衰退し、(4)1971年の輸入自由化で国内ハッカ産業は崩 壊しました。その12年後、北見ハッカ工場は閉鎖されています。

 北見は現在はハッカに代わるものとしてタマネギやテンサイを栽培する 農家が多い地域になっています。北見で本格的に栽培する農家はなく、市 内では仁頃はっか公園で有志が後世継承のため栽培している程度(約30アー ル)。

 ところで、現在日本最大のハッカ生産を誇っているのは北見市ではなく、 同じ網走管内滝上町です。わずか10ヘクタールだけですが、国内の9割以上 の生産量を占めています。2007年は3戸2ヘクタールでした。国内最後とも いえる商業用ハッカ栽培の主産地なのです。

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