稚内土産「流氷まんじゅう」を生んだ最北の街の老舗菓子店「小鹿」

日本最北端の街・稚内市。海産物のイメージが強い街だが、この街に、いま道内外から注目を集める右肩上がりのスイーツ「モッチリーヌ」を作る老舗菓子店がある。御菓子小鹿(こしか)。ある人にとっては、稚内土産「流氷まんじゅう」と言ったほうが通りが良いかもしれない。

稚内最古の製菓店から独立して半世紀

稚内駅より北に店舗を構える「小鹿」は、日本最北のお菓子屋なのかと思いきや、最北から二番目、工場も含めると三番目という。稚内では、戦後に樺太から引き揚げてきた人たちが和菓子屋を相次いで創業し増えた経緯がある。しかし次第に、稚内港を出入りする底引き網漁船が最盛期の10分の1にまで減少したことで人口減少し、菓子店も減った。

「小鹿」のルーツは、稚内最古の老舗菓子店だった「香花堂」(1880年創業、2015年に四代目社長が亡くなり閉店)。同店で働いていた小鹿一雄さん(現・代表取締役会長)が1964年に独立し、同年5月3日に創業した。創業時はドーミーイン稚内の近くで経営。おまんじゅう、おだんご、赤飯、おはぎなど、朝生菓子を中心とした菓子を製造販売、のちに餅菓子、洋菓子も手掛けるようになった。

稚内観光土産の先駆け「流氷まんじゅう」がヒット

約30年前、利尻島・礼文島観光ブームで稚内フェリーターミナルにカニ族(バックパッカーの若者たち)が列をなすようになる。その様子を見た宗谷観光物産協会の当時の会長は、「モノが売れないと嘆くが、利礼航路の埠頭には人がたくさんいる」と一言。「稚内に土産がないのはなぜ?」との観光客の声もあり、稚内を代表する観光土産を作ることを決意した。

稚内には当時、毎年流氷が接岸していたため、流氷をイメージしたお菓子を考案した。こうして生まれたのが「流氷まんじゅう」だった。「まんじゅう」と名はつくが、実際はあんこは入っておらず、蒸しケーキにホワイトチョコレートソースでコーティングした、しっとりふわふわの洋菓子だ。

会長曰く「丸いから『まんじゅう』でいいんだ」。まんじゅうと聞いて買って、実際に食べてみたら洋菓子。良い意味で予想を裏切る流氷まんじゅうは人気を博し、現在に至る。その後砂糖を変えるなど、微妙に味を改良。今でも「小鹿」を代表する人気菓子の一つだ。

▼るみことばんくんも流氷まんじゅうを食べてみた

2014年に誕生し、道外でも大人気「モッチリーヌ」

「小鹿」では、毎年新たな商品を開発している。2014年に発売した「稚内北緯45°モッチリーヌ」は道外でも人気だ。地元で発売したところ人気となり、道外の物産展や首都圏のスーパーで販売している。今では8割が全国へ発送されており、「小鹿」を代表する菓子製品の一つになった。

きっかけは原点回帰。稚内牛乳を使ったスイーツをと考えていたときにシュークリームにしようと思い立った。カスタードクリームに生クリームを合わせ、北海道産米粉を8%使って、はぎれよくもっちりした生地にしている。もちもち食感と牛乳風味を感じるスイーツは、やみつきになるおいしさだ。

同社ではほかに、和洋折衷の菓子をと考案した「モカ小福」、稚内牛乳を使った「稚内牛乳竹炭シュー」、「最北牛乳プリン」、ケーキなど、和菓子約60種、洋菓子約60種、計120種類を製造販売している。

稚内で生産される素材は、海産物と乳製品くらいしかない。それでも同社は地元産の食材を大切にしており、稚内牛乳や豊富牛乳を生かした菓子を作ろうと務めてきたほか、利尻昆布を使ったスイーツ開発も進めている。「安心・安全を追求し、お客さんの要望を満たしていきたい。そしてこの街で生きていく以上、稚内に貢献していきたい」。二代目代表取締役社長の小鹿卓司さんは、そう決意を語る。

▼御菓子司 小鹿
稚内市中央1丁目3-35
0162-23-5275
公式サイト