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増毛町に鉄道を通すのは大変だった!? 留萌本線(留萌―増毛間)95年史

編集部
Written by 編集部

2016年12月5日の廃止が迫るJR留萌本線・留萌―増毛間(最終運行は12月4日)。道内では2014年5月の江差線・木古内―江差間に続き、日本海岸を走る鉄路が廃止となります。そんな留萌本線の末端部・留萌―増毛間はどんな路線だったのでしょうか。同区間の歴史を振り返ります。

増毛町に鉄道を通すのは大変だった!? 留萌本線(留萌―増毛間)95年史

簡単ではなかった増毛への鉄路建設

留萌・増毛への鉄路の歴史をたどると、明治時代の北海道鉄道敷設法(1896年公布)にさかのぼります。同法には「石狩國雨龍原野ヨリ天塩國増毛ニ至ル鐵道」と明記され、第二期予定線として雨竜原野―増毛間の路線が計画されていました。これは留萌・増毛の海岸線と内陸とを鉄道で結びたいという考えがあったためでした。

しかし翌年、現在の道道94号線に沿う信砂川上流を経由する雨竜―増毛ルートで測量を実施したところ、急勾配と長大隧道(トンネル)が必要で、工事の難易度が高いことが判明。また、当時は増毛港が勝っていたものの、天塩原野で採掘される炭鉱輸出と旭川近郊の農作物輸出(いずれも増毛より留萌のほうが近い)の観点から留萌港を改修すれば植民鉄道の起点になるだろうと考えられていました。こうした理由から、雨竜―増毛ルートは敬遠され、代わりに深川―留萌ルートが有力視されるようになっていきました。

それでも増毛有志は負けじと雨竜―増毛間の調査を道庁建設課に要望。しかし、周辺原野の開発がなければ到底留萌線と競争する価値はないと再度断念されました。こうして鉄道ルートは深川―留萌間の一択となり、1907年冬に着工となりました。

その後、増毛は留萌線の延伸を政府に求めることとなりますが、たとえ増毛築港になったとしても急こう配や迂回があって敷設が難しいため、強いて延長する考えはないとの見解を示していました。こうして地理的に不利な状況ゆえに、増毛への鉄道延伸は後回しになっていました。

留萌―増毛間の延伸が鉄道院によって計画されるのは、留萌線開通(1910年11月23日)から6年が経過した1916年のことでした。ようやく1917年から実測が行われたのですが、第一次世界大戦下であったため予算のめどが立たないこともあり、工事には時間がかかりました。

留萌―増毛間のルート上は低い丘が広がっている地域であるものの、海岸線の平地は狭く岸壁が海に突き出しているなどの地形であったため丘を越えて断崖を削ったり、海岸線は漁師の海産物を干す場所として使われていたためできるだけ侵入しないルートで、など、工事は簡単ではありませんでした。先にふれたとおり地形的に敷設が難しい箇所もあり、増毛駅手前の急カーブでは廃止時点でも制限速度25キロとなっているほどです。

こうして、229万6296円28銭7厘をかけて留萌―増毛間の敷設工事が行われ、1921年11月5日、ついに延伸開業となったわけです。

▼増毛駅直前の急カーブから増毛駅到着
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かつては急行・快速・SLも運行

開業当時は礼受駅、舎熊駅、増毛駅だけでしたが、その後沿線海水浴場客のために仮乗降場が新設されたり、1963年には地元の人たちのために4駅が新設されるようになりました。

同区間では、旅客だけでなく貨物輸送も行われてきました。その最たる例がニシン輸送。1933年4月、1936年4月、1953年3月、1954年3月、1955年3月など、ニシンの群来(くき)があった際には、増毛から多くの臨時列車を運行しなければならないほどだったとの記録があります。

増毛町に鉄道を通すのは大変だった!? 留萌本線(留萌―増毛間)95年史

1960年代、留萌本線では留萌駅まで準急(後の急行)が乗り入れており、同駅から羽幌線方面・留萌本線増毛方面も運転されていたことがあります。快速、ノロッコ号、SLが増毛まで運行していました。

準急(急行)「ましけ」
準急「るもい」は、運行開始の1961年当時は小樽・札幌から羽幌線に乗り入れての運行でしたが、翌年に急行「はぼろ」が登場したため小樽―増毛間に運行区間が変更されました。1965年10月1日には準急「ましけ」(準急「かむい」から分離)も登場。1968年以降 急行「ましけ」は留萌―増毛間を普通列車運行としました。急行「ましけ」が廃止されたのは1980年10月1日。1986年には留萌本線を走る急行が全廃されてしまいました。

旭川―増毛間の臨時列車「かもめ号」
1964年に初めて夏季限定で登場し、以降留萌本線で運転されました。最大編成は12両で、留萌駅で増毛行きと羽幌線鬼鹿行きに分割されました。1976年に増毛行きはなくなりましたが、羽幌線が廃止されると1987年~1993年まで臨時運行されていました。
1975年の例:旭川8:20→留萌10:13→増毛10:43着、増毛16:38→留萌17:32→旭川20:07着

札幌―増毛間の臨時特急・快速「増毛エクスプレス」
2000年4月29日~5月7日まで臨時運行された列車です。札幌発着で留萌―増毛間だけを3往復するというダイヤでした。札幌―深川間は特急、それ以外は快速。
1号:札幌8:02→深川9:30→増毛10:48着
2号:増毛11:06→留萌11:24着
3号:留萌13:23→増毛13:41着
4号:増毛13:51→留萌14:09着
5号:留萌16:08→増毛16:26着
6号:増毛16:46→深川17:56→札幌19:22着

深川―増毛間の快速「増毛ライナー」
2000年7月15日~8月13日まで臨時運行された列車です。増毛エクスプレスのうち深川―増毛間を切り取ったかのようなダイヤ編成でした。

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旭川―増毛間の「増毛GWノロッコ号」
時速約25キロで走るトロッコ様式のノロッコ号は留萌本線でも運行されていました。旭川発着で留萌―増毛間は2往復するというダイヤで、2001年から2016年まで運転されました。
1号:旭川8:33→増毛11:39着
2号:増毛12:00→留萌12:27着
3号:留萌13:34→増毛14:01着
4号:増毛14:10→旭川16:35着

増毛町に鉄道を通すのは大変だった!? 留萌本線(留萌―増毛間)95年史

深川―増毛間の「SLすずらん号」
旭川―留萌間を臨時運転していた「SLすずらん号」(C11 171号機・207号機)が3年目の2001年6月16日から増毛まで延長運転を開始しました。留萌―増毛間の運転本数は1.5本でした。2006年をもって運転を終了しました。
深川9:10→増毛11:05着
増毛12:07→留萌12:31着
留萌14:25→増毛16:00着

増毛町に鉄道を通すのは大変だった!? 留萌本線(留萌―増毛間)95年史

参考文献: 『留萌市史』『増毛町史』『増毛線建設概要』

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