トピックス

日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん

日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん

みなさんこんにちは。 オホーツク観光大使、ラウフェンCukaです。 こちらの記事では、laufenが担当していたAir-G'(FM北海道)の番組「laufenのkita-note」で取材した模様を、文字と写真でリポートします。

<特別編ゲスト> Team Paramount Adventure・猪飼嘉司さん(2016年6月23日放送)

―― laufenのkita-note、Cukaがお送りしています。 kita-noteでは今までに体の不自由を抱えながらスポーツや冒険に挑戦する方をご紹介してきました。 今日は、日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂を果たしたTeam Paramount Adventureの猪飼嘉司さんをスタジオにお迎えしています、イランカラプテ!(Cuka)

猪飼:イランカラプテ!

▼Team Paramount Adventure代表の武田功さんと撮影
日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん

―― 猪飼さんは名古屋出身で現在47歳、20代のときは登山のほかバイクに乗ったり、バンドでドラムを叩いたりされていたんですね!

猪飼:そうです。

―― 事故で車いす生活になって、それでもトレーニングを続け、2013年に日本人で初めて車いすによるキリマンジャロ登頂に成功しました。 車いすでの生活になってからキリマンジャロへの挑戦を思いついたのはどうしてでしょうか?

猪飼:今の僕は車いすを使って生活する障がい者なのですが、19年前バイクの事故を起こすまではいわゆる健常者でした。 その頃の僕は2週間山に入り浸るほど山が大好きで、自分の足で立って歩いて登っていたのですが、車いすで生活するようになってからは山を諦めてしまっていました。 車いすでありながらも山の魅力というのは心の奥底にあったのですが、じゃあどうやって頂上まで行くの?という部分はなかなか想像がつきませんでした。

ところが、そんな既成概念を打ち破るようなツアーを企画して「猪飼さん一緒にキリマンジャロ行こうよ!」と誘ってくださった方がいたんです。 冒険家の風間深志さんという方で、バイクでエベレストに行かれたり北極南極の両極の到達者としては日本人で初めての方です。

―― それがきっかけで山に登られるようになったんですね、しかもキリマンジャロ!

猪飼:車いすの僕にそんなチャンスが来るとは思ってもみなかったものですから、速攻で決めてしまいましたね。

―― 不安はなかったのでしょうか?

猪飼:僕が障がい者になってもう19年ですけど、車いすで生活しているうちにいつの間にかできることとできないことのジャッジを簡単にする癖が付いて、「自分はもう車いすだし仕方ないよな」と諦めてしまう自分に気が付いていました。 それでも命というか、人生をもっと燃焼させて生きたいという想いがずっとあったんです。 そういうものが不安に勝ったというか、これを逃すと自分は同じ人生が続いてしまうという恐怖感があったので思い切ることができました。

日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん

―― キリマンジャロは標高5,895メートル、アフリカで一番高い山ですが、車いすでどのようにして登られたのでしょうか?

猪飼:キリマンジャロ登山隊というのは障がい者と健常者がチームを組んで挑戦するという趣旨のものだったのですが、僕を含む障がい者5名と健常者10名の計15名が、現地アフリカのポーター70名の力を借りて、キリマンジャロのギルマンズポイントという頂上に上がることができました。 当然車いすの僕が頂上に登ることができたのはこの70名のサポート、このうち専属で僕についてくれたのは7人の方なのですけど、この人たちのおかげで頂上に行けたというのは間違いないですね、彼らのおかげです。

そういった中で自分に何ができるのか? 車いすのタイヤが地面に接地している限りたとえサポートが付いたとしても全力で車輪を回す、一瞬たりとも力を抜かない、まずそのことを自分に誓いました。 場合によっては前で引っ張ってくれている人、一緒にいる人たちを僕が車輪を回すことによって少し楽をさせてあげようとかそんなことを考えたり、たとえ車輪が空中に浮いて担ぎ上げられるような場所だったとしても、車いすの上でただ座っているのではなくて、前後左右にバランスを移動させ、少しでも持ち上げてくれているポーターたちの負担が軽くなる工夫をしてみようとか。 自分の力だけでやらなくては意味がないというこだわりを捨てたことで、今の自分でもやれることが色々と見えてきたんですよね。

4,000メートルを越えるところまで来て、そこは道の状況が良く、自分一人で車いすをこいで進めるような場所だったのでかなり楽しみにして頑張ることもできていたのですが、やはり空気も薄くなり腕の力もきつくなってしまいフラフラしながら車いすを進めていたんです。 そうすると僕の後ろを少し離れて付いてくれていたポーターのうち二人が前に出たと思ったら、足で石を蹴飛ばし始めました。 最初は何をやっているのかわからなかったのですが、こちらを振り返りながら、進行方向を確認しながら石を蹴って道をならしてくれていたんです。

―― 進みやすいようにしてくれたんですね。

猪飼:僕の車いすを押すのではなくて、猪飼が本気でやっているのだったら何をしたら良いか、きっと彼らは自ら考え行動に移してくれたのかなと。 本当に嬉しかったですね。

日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん 日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん 日本で初めて車いすでキリマンジャロ登頂!札幌在住の猪飼嘉司さん

―― 登頂を達成してどのように感じましたか?

猪飼:登頂までに色々なことがあり、もちろん体力的な大変さもありましたが、やはり登っている最中の精神的ダメージというものがすごく大きくて、自分が障がい者であるということを強烈に認識させられたといいますか…… 僕は自分の足で山に登っていた経験があるからかもしれないのですけど、この登山に参加を決めたときから、自分の力だけで頂上に立ちたい、そうでなきゃ登頂の満足感は得られない、人の力を借りての登山は登山とは言えないと頑なに思い込んでいました。 もう車いすの僕は人の助けがないと頂上には行けないということをわかってはいたんですが、心のどこかで僕は他の障がい者とは違うと、自分が障がい者であることを19年間認めていないまま来てしまったと、行ってみて初めて気づいたんです。

結果的にアフリカのポーターたちに引っ張り上げられるように初日のキャンプ場に着いてしまったんですけど、どの参加者よりも最初に荷物と一緒に着いたんです。 もうプライドがズタズタになりましたね。

―― 今まで自分で辿り着けていたものだから思うことがありますよね……。

猪飼:はい、でもそれは僕に必要なことだったんだと思います。 いつまでも健常者の頃の僕と比べていても仕方がないわけで、障がい者であるということを認めた上で、そこから自分は何を頑張るのかということを頂上に至る過程で否応なしに考えさせられたなあと思いますね。

AirBookmark

筆者について

ラウフェンくか

ラウフェンくか

2011年4月1日、札幌を中心に活動するlaufen・Cukaの故郷が世界自然遺産知床・斜里町であることから第14代オホーツク観光大使に任命された。2013年3月に連載スタートした「オホーツクまち発見!!旅紀行」では、オホーツク各地の魅力を発信する。