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幕別町には「白人」という地名がある! 簡単には読めない難読地名だった

幕別町には「白人」という地名がある! 簡単には読めない難読地名だった 【幕別町】 アイヌ語由来の地名が多く、簡単に読むことのできない、いわゆる「難読地名」が多い北海道。中でもユニークな難読地名の一つが、十勝管内幕別町にある「白人」という地名だ。「白人」だからといって、白人が多く居住しているわけではない。そもそも読み方が「はくじん」ではないのだ。では何と読むのだろうか……?なんとこれで「ちろっと」と読ませるのだから正直驚く。はっきりいって、すぐには読めない。

実際に「白人」に行ってみた

「白人」と書いて「ちろっと」と読む地域は、幕別町北東部の札内の住宅地に隣接する千住地区にある。旧地名だったので、厳密には正式な住所表記としては残っていない。しかし実際に訪れてみると、かつての地名の名残があちこちに見られた。

まずは国道38号線沿いに「白人公園」があるし、その奥には「白人小学校」がある。近くには十勝バスの「白人小学校前」バス停が立っている。国道沿いには「白人小学校」の看板も設置され、ご丁寧に「ちろっと」とふりがなもふられていた。帯広のベッドタウン札内地区に隣接することもあり、白人小学校は児童数が300人弱と多い。白人中学校もかつてあったが、札内中学校に統合されて1975年に閉校している。確かに、白人地区だからといって町を歩く白人の方は見かけない。

その他、生産物では、漬物用として使われる「白人大根(チロットダイコン)」が地元では知られる。このように、「白人」の名前が地元ではいまだに使われている。

現在に残る「白人(ちろっと)」の名前
・「幕別町立白人小学校」(ちろっとしょうがっこう)
・十勝バス「白人小学校前バス停」
・「白人公園」(ちろっとこうえん)
・「白人の森パークゴルフ場」(ちろっとのもり)
・「白人川」(ちろっとがわ)
・「白人神社」(ちろっとじんじゃ)
・メン川・十勝川合流地点に「白人樋門」(ちろっとひもん)
・「白人平原牧場」(ちろっとへいげんぼくじょう)
・「白人サッカー少年団」
・帯広石油販売・JOMO「白人ステーション」(ちろっとすてーしょん)
・「白人コタン慰霊碑」
・白人公園内「白人尋常小学校跡」
・ひまわりの家「白人中学校跡」

白人(ちろっと)の歴史

「白人」と書いて「ちろっと」と読む地域は、アイヌ語の「チル・オッ・トー」、つまり「鳥が多くいる沼」をそのまま読ませ、「白(ちろ)」「人(っと)」と漢字をあてたものとされる。歴史を紐解くと、古くはアイヌコタン「チロットコタン」が周辺一帯に広がっていたことがわかっている。町教育委員会の資料では、明治初期の1872年に6戸があったという。

幕別町には「白人」という地名がある! 簡単には読めない難読地名だった 昭和時代に活躍したコタンの指導者・吉田菊太郎氏(1896-1965)は、この地出身で、アイヌのリーダー的存在だった。また、白人地区に白人古潭矯風会や白人古潭納税組合、白人共栄甜菜組合を設立したりしてきた。千住地区の東側には彼が収集してきた文化財を保存する「蝦夷文化考古館」(写真)があり、チロットコタンを中心としたアイヌの歴史を現在に伝えている。

行政地区としては、十勝国時代の1869年にはすでに「チロット」という地名の記録がみられ、中川郡白人村と表記された。佐賀県から移住してきた人がこの肥沃な土地で農業を開始し、1893年頃から和人が増え始めた。

その白人村は1906年4月1日に、幕別村、止若村、咾別村、別奴村とともに合併、二級町村の幕別村となり、幕別村大字白人村となる。1944年までは白人村という大字名が続いていたが、同年に旧村にちなむ大字5地区を再編することとなり、その一つである大字白人村は栄、日新、千住、相川、豊岡、古舞の6地区に再編、白人という地名は行政地区の地名から消えることとなった。

住所表記からは消えてしまった地名だが、冒頭でも紹介したように、教育施設や公園の名称として残っているので、幕別町札内地区を通る際は「白人(ちろっと)」の名を探してみてはいかがだろうか。

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