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分家でも本家以上に健在!!

 意味不明のタイトルはほおっておいてもらってけっこうですが……笑

 空知郡の南部に、江別市に隣接する「南幌町(なんぽろちょう)」があります。札幌の南という意味だと勘違いする人もいるのですが、実は別の由来なのです。結論から言うと「南幌向」つまり幌向南部が正解です。「みなみほろむい」では言いづらいということで「なんぽろ」としました。

 さて、その幌向とはどこをいうかというと、南幌町北部にある岩見沢市幌向(ほろむい)地区のあたり、JR函館本線の幌向駅がある場所です(近辺を幌向太(ほろむいぶと)と呼びます)。名前の由来は、近くの幌向川と石狩川が合流するあたりが曲がりくねってよどんでいる状態から「幌向(アイヌ語:ポロ・モイ(大きなよどみ))」と呼ぶようになりました。そしてこのあたり一帯は「幌向原野」と呼ばれていて、それには幌向も、南幌町も含まれていたのです。

 南幌町は幌向村として発足しましたが、本家本元の幌向地区は現在の岩見沢市に所属することになりました。こうして同じ幌向エリアでありながら別の道を歩むことになります。

 いつしか幌向南部の南幌町には、幌向地区と同様に鉄道がしかれ、栗山~野幌間の夕張鉄道の中継地点「南幌向駅」として栄えるようになります。「幌向運河」「幌向駅逓(えきてい)」も南幌町に誕生して、交易の重要地点ともなりました。そして幌向村→南幌向→南幌町に改称され、現在にいたっています。また、途中で、豊幌(とよほろ:豊かな幌向)地区と江別太(えべつぷと)地区が、現在の江別市に編入されています。

 もとになった幌向は独立した市町村ではなく(岩見沢市所属)、一方の南幌向つまり「南幌町」は独立した市町村のひとつ、という構図が完成しました。

東神楽町はあって神楽町がないわけ

 旭川市南部には旭川市域に食い込むようなカタチで東神楽町が横たわっています。でも市町村としての「神楽」はほかに見当たりません。神楽の東という意味の「東神楽町」だけが現在でも残っている格好です。

 もともとは、神楽村という村に属していました。しかし戦時中に、神楽村東部の人口増加や、お役所機関が遠い、不便という声もあって、分村することになりました。こうして、独立した「神楽村」「東神楽村」にわかれたわけです。

 のちに神楽村は神楽町となり、結局は旭川市に編入されてしまいます。一方の東神楽村は東神楽町となり現在まで続いています。したがって、神楽の東「東神楽町」は独立した市町村のひとつとして、また、神楽の西「西神楽町」は神楽町の一部、現在では旭川市の一部となっているわけです。

 蛇足ですが、旭川界隈では町々の分割・合併が多く、東旭川町や東鷹栖町といった東を冠する町名が多かったのが特徴です。いくつもの町が後に旭川市に編入されたわけですが、そのおかげで現在の旭川市域はいびつな形をしています。

その他の意味深な市町村名……

 江別市北部に隣接するのが「新篠津村(しんしのつむら)」。「新」がつくということは、もとの「篠津」があるということですが、それは現在の江別市にあります。当時篠津村という独立した村がありました。ここから独立・分村したのが「新篠津村」ですが、もとの篠津村は江別村(現在の江別市)と合併してしまっています。新篠津村だけが残った格好です。

 十勝管内の「中札内村(なかさつないむら)」は、札内というエリアの中ほどにあること、正確に言うと札内川の中流域に位置するという意味からつけられているのです。したがって、上流域の上札内というところもあるし、札内川下流域の十勝川と合流する幕別町(まくべつちょう)西部は札内地区になっています。

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