市制施行で「広島町」はなぜ「北広島市」になったのか

 広島町が市制施行し、北広島市が誕生したのは1996年9月1日のこと。同じく石狩管内の石狩町とともに市制施行しました。ともに隣接する札幌市のベッドタウンとして急成長した町です。

 北広島市は、もともと月寒村(現在札幌市内)の東側の地域でした。1884年に当時の広島県段原村からやってきた和田郁次郎氏をはじめとする25戸が集団移住してきて中心部が形成されるようになりました。

 その後、1894年に月寒村から分離独立することになりました。その際、札幌郡広島村として設置されたのが「広島」という自治体名称のはじまりです。これは、和田ら集団移住者の出身地・広島にちなんだものです。

 その後、1968年に町制施行し「広島町」になりました。しかし、1996年の市制施行時には「北」を冠して「北広島市」になりました。どうしてそうなったのでしょうか。

理由1:既存自治体と同名になるため

 それは、市制施行すると故郷広島県広島市と同名になるためです。混同することを避けるために、北広島市へ改称したというわけです。しかし、市制施行に際して、まず「広島市」となり、同日即日改称して「北広島市」にしたといういきさつがあり、したがって「広島市」は短命な市として知られています。さらに最後の札幌郡だったので、札幌郡が消滅しました。

 市の名称の候補としては、札幌隣接の大曲地区を中心として「南札幌市」を希望する声が多く、一方、中心部側では「北広島市」をおす声が多かったようです。この時点でただ単に「広島市」とではなく「北」を冠した「北広島市」が圧倒多数だったことに注目できます。つまり、市制施行前の広島町の時すでに「北広島」という地域名が住民の間で定着していたことになります。

理由2:それ以前に駅名が北広島だった

 実は広島町時代から地元では「きたひろしま」「きたひろ」と通称で呼ばれていました。なぜそうなったのか。鉄道駅「北広島駅」の開業が影響しています。

 北広島駅は、1926年8月21日に北海道鉄道が札幌線(現在千歳線)を開業した際に新設された駅です。この当時(広島村時代)から「北広島駅」と名付けられました。理由は、やはり広島県の広島駅と区別するためでした。広島村時代から、自治体名称とは異なる駅名だったわけです。

 駅開業以降、「北広島」=略・きたひろ と呼ぶことが本格的に始まったといえます。ということで、故郷の地名を付して名付けられた広島村は、駅名ゆえにいつしか通称「北広島」で呼ばれるようになり、その通称が市制施行時に正式な自治体名称になったというわけです。