なぜ釧路市と釧路町があるのか? その歴史に迫る

釧路という地名を言った場合、市町村の自治体で言うと2つの市町を指します。釧路市と釧路町です。しかも隣同士です。市と町の違いはあるとはいえ、どうして同名自治体が生まれたのでしょうか。歴史を振り返ります。

まずは釧路市と釧路町を見てみる

釧路中心部
国道44号沿いの境界線には2つのカントリーサインが掲げられている
阿雪裡橋が釧路市の境界
阿雪裡橋が釧路町の境界
釧路市役所
釧路市役所
釧路町役場

区制施行にさかのぼる

釧路市と釧路町のなりたちは、1920年に旧・釧路町(現在の釧路市)が釧路区になったときにさかのぼります。当時の北海道の行政では、市はなく、町村のほかに区がありました。最初に区制を導入したのが、札幌・函館・小樽でした。その後、旭川、室蘭も区制を敷いたのですが、最後に釧路区が誕生しました。

1899年~1922年に実施されていた北海道区制

区制施行するにはある条件がありました。面積に対して人口が集中する市街地の割合が大きい必要がありました。当時の旧・釧路町は面積が広大でした。人口が集中する中心市街地は釧路川河口付近だけでした。釧路としては区制施行を目指していましたので、この条件をクリアする必要がありました。

もっとも簡単な方法は、面積を小さくすること。それで、市街地以外の郊外を切り離すことにしたわけです。

分離したのは釧路川以東の別保地区、及び、湿原区域の雪裡太を中心としていました。住民が要求したことで雪裡太地区も分離することになりましたが、この地域が現在の釧路町の人口の多くを占めています。

自治体名戸数人口
釧路区7,68235,088
釧路村4672,324
分村年の1920年の世帯と人口(釧路市史資料集)
釧路市と釧路町の境界線をなすアセツツリ川

しかし、この分村が、旧・釧路町役場と北海道庁が非公式でことを進めてしまったことから問題になりました。また、この分村にあたっては、当時の金額で11万円の年賦助成金を新村に支払い、釧路村が誕生しました。

釧路村から釧路町へ

1944年当時の釧路市中心部の航空写真(国土地理院)。雪裡太地区はまだ宅地化されていない

この結果、釧路区と釧路村が存在するようになりました。当時は同名自治体は他にもありました(詳細は異なりますが札幌区と札幌村時代もありました)。

2年後に釧路区は「釧路市」に市制施行。釧路村は昆布森村と合併後、1980年に町制施行して「釧路町」になりました。こうして、現在「釧路市」と「釧路町」という同名の自治体があるというわけです。

出来事
1880年釧路に戸長役場設置
1900年一級町村制施行で旧・釧路町に
1920年旧・釧路町が区制施行で釧路区に、郊外を釧路村として分村
1922年釧路区が市制施行で釧路市に
1955年釧路村が昆布森村と合併
1980年釧路村が町制施行し釧路町に

釧路市の市街地は拡大し、やがて釧路町の雪裡太地区と一体化した市街地を形成、釧路町も人口が増加するようになりました。分村の際、雪裡太地区を分離していなければ、釧路町の人口はいまでも少なかったのかもしれません。

釧路市と釧路町。もともと一つでしたが、諸事情により分かれ、現在に至っています。同じ「釧路」ですが、別の自治体ですので、覚えておきましょう。