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札幌市中央区中心部(本府)誕生の歴史

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 札幌中心部は開拓使により北海道の中心となるために計画的に建設され た国内では非常に珍しい町です。開拓判官島義勇がまず1869年に建設をす すめました。街の中心部(本府)はちょうど豊平川の扇状地の先端部に位置 しており、それより北は泥炭地でした。

 当初は市街地を南北に広げる予定でありましたが、こうした理由により、 東西にまずは街を広げていきました。区画サイズは60間(約109m)四方(11,6 44m2)で、京都にならって条丁目の碁盤の目にしました。本通は幅11間(約20 m)、中通は幅6間(約11m)、そして中央部に東西に引かれた道路が大通であり、 幅58間(約105m)ありました。

 島義勇が基本的な構想を企画し、後任の岩村通俊が1871年までに火防線 となる「大通」を境に北を官庁、南を商業地としました。札幌農学校(現在 北海道大学)が当初1875年に建設されたのは北1~2条あたり。後に北の現在 の位置に移転しましたが、演武場は時計台として(多少移動しましたが)現 在も残っています。

 1880年には鉄道が市街地区画の東西ラインに合うように敷設されました。 札幌駅が開設されたことで、駅前通が中心軸ととらえられるようになりまし た。隣接する山鼻屯田兵の区画とは微妙なずれが生じています。

札幌市中央区中心部(本府)誕生の歴史

●当時の主な道路
 駅前通=1880年以降停車場通としてメインストリートに
 大通=火防線・南北分類の線
 北三条通=開拓使本庁舎正門から東に伸びる中心道路で市内初舗装道路
 狸小路商店街=商業地で栄えた小路
●札幌建設当時の中心部のエリア分類
 創成川以東=創成川水運を想定して官営工場(営繕局・器械場・物産局製造所、工業局用地)
  麦酒製造所→現・サッポロファクトリー旧札幌麦酒会社工場
  病院
  官庫
 大通以北=(政治地域)
  開拓使庁舎(本府敷地:300間四方)→次第に縮小し現・道庁敷地範囲に
  官舎
  札幌農学校(北1~2条、西1~2丁目)→現・北大敷地へ移転
 大通以南=(商用用地)
  小路→狸小路が代表例
  町屋・商人住宅
 ススキノ=官設遊郭(南4~5条、西3~4丁目の4区画)

狸小路と札幌一番街

 南側は町屋として整備されました。1区画を南北に2分して各6戸合計12 戸を収容できるようにしました。その2分した間の道路が小路です。代表例 は「狸小路」です。狸が実際にいたとか、客引きが狸のようだなど、由来には諸 説あるようです。1873年に2丁目付近にできた芝居小屋から狸小路が栄える ようになったといわれています。

 ちょうど同じ頃の1872年に丸井今井が開業したことに端を発する「札幌 一番街」(南1条西1~3丁目)も札幌で歴史ある商業エリアです。明治時代の うちに大丸藤井、丸ヨ池内が次々と開業し、一大商業地に成長しました。 創成川との交点が、岩村通俊が定めた札幌建設の基点です(札幌建設の地碑)。

ススキノのはじまりは薄野遊郭

 北の歓楽街「ススキノ」は東京の歌舞伎町、福岡の中洲にならぶ日本三 大歓楽街といわれる、国内的に有名な北日本最大の繁華街です。すすきの という地名があるのではなく、南4条~南6条、西2丁目~6丁目を範囲とす るのが一般的です。

 ススキノという名前がつけられたのは明治時代の札幌開拓のころ。札幌 市街地区の南4条~5条、西3~4丁目の4区画を遊郭に指定、「薄野遊郭」と 呼んだのが始まりです。指定されたのは1871年で、翌年「東京楼」開業。 北海道開拓使によって整備された日本初の官設遊郭でした。

 当時の札幌開拓の時代はつらい生活から逃亡が多く、男ばかりで治安も 悪かったといいます。そこで、開拓大判官・岩村通俊(いわむらみちとし) が薄井龍之に任じて娯楽の地を建設させたといわれています。この人の名 前を取ってススキノという地になったとか、ススキが生えていたなど、由 来は諸説あります。

 芸者は東京から呼び寄せました。この建設により治安が良くなり、札幌 は発展していくことになります。当時の芸者たちの名残としては、現在の 「すすきの祭り」の花魁道中という行事や豊川稲荷があります。また、中 島公園付近に呉服店が多いのも当時の名残。

 この薄野遊郭には官僚たちも訪れました。たとえば黒田清隆は1890年ご ろにススキノで当時18歳前後の芸者・黒清(本名:小林キヨ=明治5年生まれ) に出会いました。黒田清隆は黒清を来道するたびにひいきにし、黒清は彼 に惚れていた、なんていうエピソードも残っています。

 こうしてススキノはスタートしましたが、建設当時は札幌市街地の端の ほうにあったススキノも、次第に南にも町並みが形成されるようになり、 付近に豊水小学校など学校があるなど風紀上の問題もあり、移転話が持ち 上がるようになりました。1920年の移転先には白石(菊水)遊郭が選ばれま した。

 ススキノは遊郭ではなくなりましたが、相変わらず街の中心部に位置し ており、映画館や飲食店やバーなどができるようになりました。そして、 戦後には再び違法売春斡旋が行われる地域となり、現在も深夜まで続く歓 楽街になっています。国内でも珍しい比較的治安の良い、夜の街です。

※ちなみに、「北のススキノ」、札幌市内第二の歓楽街といわれているの が地下鉄南北線北24条駅界隈です。

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