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札幌の半分が石狩郡の予定だった?

編集部
Written by 編集部

 という興味深い記事が紹介されました。札幌市の北半分が石狩郡、札幌市の東部・南部が札幌郡になる構想が立てられていたということですが、どうしてそうなったのか、というのも調べてみると面白いものです。

 そもそも、札幌郡と石狩郡というのは、現在の石狩振興局管内の大部分を占めていました。石狩郡は石狩湾の石狩川河口付近から流域北部でした。札幌郡は現在の札幌市、江別市、北広島市に相当する範囲でした。

石狩郡だったエリア:石狩市、江別市篠津、当別町、新篠津村
 (現在は当別町・新篠津村のみ)
札幌郡だったエリア:札幌市、江別市、北広島市
 (すべて市制施行のため現在は消滅)

 しかし当初、松浦武四郎が11国86郡の境界線プランを立てた際、石狩郡と札幌郡の境界線が、1869年に実際に採用された境界線と異なっていることが判明しました。そのことは、2002年に発見された松浦武四郎の「北海道国郡検討図」でわかりました。

 松浦武四郎は境界線を引く際、自然地形を元に検討しました。それによると、現在の札幌市中央区北部、西区、北区、東区、手稲区が石狩郡になる予定であったようです。それ以外、札幌市東部・南部から江別・北広島までが札幌郡になる予定でした。つまり、現在の札幌市が二分されていたことになります。

 どうしてそういう境界線を検討したのか。それは自然地形にありました。松浦武四郎は探検の結果、山岳・河川などを参考に境界線を考えたわけですが、札幌市内を流れる河川が大きく分けて、茨戸川を中心とする札幌北部の河川グループと、豊平川を中心とする南部・東部の河川グループに大別できることに注目しました。それぞれ石狩川に合流しました。

北部の河川グループ:茨戸川、発寒川、琴似川、伏古川など
南部の河川グループ:豊平川、厚別川、真駒内川、大曲川、月寒川など

 これに基づき、松浦武四郎は以下の郡境界線を検討していました。

札幌の半分が石狩郡の予定だった?

 現在の手稲区・南区の境界線(奥手稲山)から、西区・南区、中央区・南区の境界線に沿って藻岩山付近を通り、札幌駅と豊平川の間を通り、モエレ沼公園と豊平川の間を通り、石狩川に至るラインです。そのあとは石狩川に沿って上流に向かっていきます。

 しかし実際には、石狩湾に注ぎ込む小樽内川(新川)河口から、発寒川にぶつかった後、石狩川に向かって境界線が引かれました(現在は小樽市域が石狩方向に拡張されています)。これは松浦武四郎らしい境界線とはいえないでしょう。

 開拓使設置および11国86郡がおかれた1869年、札幌郡・石狩郡もおかれ、札幌本府建設が始まったときでもあります。当時は石狩が栄えていたのに対し、札幌は未開の地でした。札幌本府建設構想と関連して郡境界線が変更されたと考えられています。もし境界線が違えば、今の札幌の姿は変わっていたかもしれません。

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