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ふるさと銀河線の歴史1~池北線

編集部
Written by 編集部

2006年4月21日廃止の「ふるさと銀河線」。1910年に「網走線」として 開業した路線は「網走本線」「池北線」と名前を変えながら96年の歴史に 幕をおろすことになります。その廃線を前にふるさと銀河線の歴史 にスポットを当ててみます。

「網走線」として開業!

明治40年(1907年)にすでに開業していた池田駅から、オホーツク海へ向 けて鉄道建設工事着工したことにはじまります。開業は3段階にわかれて、 まず1910年に池田~淕別(りくんべつ:現在の陸別)まで、翌年に続く淕別 ~野付牛(のつけうし:現在の北見)まで、さらに翌年野付牛~網走(あばし り:現在とは違う)が開業していきました。現在で言う石北本線(旭川方面~北見方面へ)はまだなく、この網走線が 道央とを結ぶ唯一の幹線路線でした。たとえば網走から札幌へ向かうには 池田・富良野・旭川経由だったということです。それをあらわすかのように、網走まで全 通した1912年に「網走本線」に改称されました。これほど早く全通が実現したのは、野付牛、つまり北見に入植し開拓と 発展に大きく貢献した高知県出身の「北光社(ほっこうしゃ)」の陳情や努 力があったからだとされています。建設に際しては「タコ労働」と呼ばれ る道外の人々が多く従事しました。

・ここまでの年表
1904年12月15日釧路線(根室本線)豊頃~利別間延伸開業に伴い池田駅新設
1907年網走線建設工事着工
1910年9月22日池田~淕別間77.4km開業
1911年9月25日淕別~野付牛間62.6km開業
1912年10月5日野付牛~網走(浜網走)開業で全線開通
1912年11月18日網走線を網走本線へ改称

「網走本線」から「池北線」へ……

ふるさと銀河線の歴史1~池北線 網走本線へ改称された同日、野付牛(北見)から留辺蘂(るべしべ)までの 湧別(ゆうべつ)軽便線(現在の石北本線の一部)が開業しています。これが 徐々に延伸され、網走本線にとってライバルになるわけです。1932年、石北本線の前身である石北線が野付牛まで全通。こちらのほう が、道央から近いこともあり、網走本線は衰退し始め、石北線の輸送量が 増えることに。1961年には石北線を石北本線に昇格、網走本線のうち池田 ~北見間を「池北線」へ格下げする事態になりました。

・ここまでの年表1932年10月1日
石北線新旭川~野付牛(北見)全通
1961年4月1日石北線を石北本線へ格上げ、網走本線のうち北見~網走を石北本線の一部とし、池田~北見を池北線に格下げ
 
補足資料:居辺線について
網走本線時代に一時期簡易軌道がありました。あまり知られていないことですが、池田町の高島駅前から士幌町のほうへ向かう路線でした。これを居辺線(おるべorおりべ)といいます。開通したのは1935年12月14日のこと。建設については1932年から行われていました。距離は池田町高島から士幌村(当時)下居辺まで18.77km。1944年5月3日に部分廃止となり、1949年2月23日に全線廃止となっています。
 
ふるさと銀河線の歴史1~池北線
ふるさと銀河線の歴史1~池北線

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