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 バロン西。本名を西竹一といい、陸軍軍人として、さらに">バロン西は本別町にいたことがある – 北海道ファンマガジン [ファンマガ]
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バロン西は本別町にいたことがある


 バロン西。本名を西竹一といい、陸軍軍人として、さらにはオリンピックで金メダルを獲得するなど活躍した人物です。バロン西は一時、本別町で生活したことがありました。バロン西と本別町のかかわりを紹介しましょう。(写真はWikipedia)

バロン西とは?

 1902年に東京で生まれた人物です。父親の死去後に後を継いで男爵になりました。陸軍の学校に入学し、陸軍への道を歩むことになります。

 陸軍として活動する傍ら、1930年にイタリアで出会った馬「ウラヌス」を自費で購入(当時の軍隊では騎兵がいた)。欧州で各種馬術大会に出場し、ドイツ馬術連盟最高賞獲得など良い成績を収めました。

 その後1932年に開かれたロサンゼルスオリンピックで、愛馬ウラヌス号とともに馬術大障害飛越競技(8月14日)に出場してなんと優勝、金メダルを獲得しました。日本人として唯一の馬術競技のメダルです。

 この功績は欧米で高く評価され、バロン西、つまり男爵西と呼ばれるようになりました。ロサンゼルス市では名誉市民にもなりました。次のオリンピックでは途中棄権でしたが、その後は陸軍としての活動を進めていくことになりました。

 軍人としては1945年の硫黄島の戦いで戦車第26連隊の指揮官になりました。3月21日、敵軍に攻撃を受け、21日または22日に戦死しました。戦士については詳細は分かっていませんが、42歳で死去しました。ちなみにその1週間後に愛馬ウラヌスも死亡しました。

本別町とバロン西の関係とは?

 本別町には歴史民俗資料館があります。ここには、バロン西が死ぬまで手放さなかったという愛馬ウラヌスのたてがみが収蔵されています。これは1990年になぜかアメリカで発見されたものです。また、本別町には軍馬鎮魂碑(1998年建立)もあります。

 本別町は、金メダル獲得後、西が生活していたことのある地です。本別町仙美里に旧陸軍省軍馬補充部十勝支部があり、足寄町上利別まで広がる総面積20000haの敷地で、軍馬育成、戦場への派遣が行われていました。

 西はここで1939年3月から1940年8月までの1年半、騎兵少佐として勤務・生活しました。住まいとした旧木造官舎「仙風荘」(1937年建築平屋79m2、現在の道立農業大学校近く)は2010年、老朽化のため取り壊されることになりました。

旧官舎のあった場所はこのあたり

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 わずか2年間ですが、北海道の地に住んでいたことがあり、本別町ではそのことを示す資料を資料館に展示しています。北海道を離れて5年後に硫黄島で戦死したわけです。

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