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稼働たった2年!? 苫小牧美々に開拓使の鹿肉缶詰製造工場があった

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稼働たった2年!? 苫小牧美々に開拓使の鹿肉缶詰製造工場があった

【苫小牧市】 苫小牧市域の北部・美々地区に、ひっそりとたたずむ史跡がある(国道36号線と道道10号線の交差点付近[地図])。それが「開拓使美々鹿肉缶詰製造所跡」だ。「開拓使」と冠していることから、明治時代に設置されていたことが推察できる。とはいうものの、たった2年稼働しただけで廃止され、今は存在しない鹿肉缶詰工場。なぜこんなところに工場があったのだろうか。

燻製所・缶詰製造所・脂肪製造所・寄宿舎もあった

日本初の缶詰製造は1871年とされ、本格的な製造は開拓使が缶詰製造を専門とするお雇い外国人トリート氏をアメリカから招いたことに始まる。戸田博史著「開拓使別海缶詰所」によれば、1877年以降、石狩缶詰所、美々、厚岸、択捉と、北海道で缶詰工場が続々建設された。その多くは主に鮭缶詰を製造したが、エゾシカ肉専門の缶詰工場として建設されたのは、内陸に位置したここ美々工場だけだった。

▼美々に建設された鹿肉関連工場
稼働たった2年!? 苫小牧美々に開拓使の鹿肉缶詰製造工場があった

開拓使が美々に官営の鹿肉関連工場を設置したのは、明治初期の1874年のことだった。当初は「美々鹿肉燻製所」を設置したが、それを利用し1878年10月に「鹿肉缶詰製造所」「脂肪製造所」が設置されたほか、製造技術を習得させる生徒養成所・寄宿舎も開設するなど、大がかりに事業を展開した。

エゾシカが集結する地に設置するも、乱獲しすぎで危機に

なぜここに開設したのか。それには理由があった。積雪が少なく、石狩地方などからたくさんのエゾシカがここに集まったという。この大群に開拓使は着目し、鹿肉関連工場を設置したというわけ。

缶詰を国外へ輸出することも考えていたことは、缶詰のラベルが日本語と英語で表記されていたことからわかる。パッケージにはエゾシカが描かれ、北海道産として売り出していた。初年度は76000缶が製造され、当時高価で取引された鹿皮に至っては年間50000枚以上生産したという。1879年11月には製造所を増築している。

稼働たった2年!? 苫小牧美々に開拓使の鹿肉缶詰製造工場があった

しかし、乱獲と大雪による大量餓死が原因となり、エゾシカの個体数が激減、絶滅の危機に陥った。そのため缶詰工場は1880年に操業停止、1884年6月12日に再開することなく廃止が決定してしまう。

明治時代だけで、実働わずか2年(1878年~1880年)、製造所自体は6年ほどで廃止(~1884年、燻製所から含めると10年)されてしまった開拓使美々鹿肉缶詰製造所。注目する人は少ないが、その施設があったことは、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園に保存されている缶詰、北海道大学附属図書館所蔵の1877年頃の製造所の写真、1967年に市が跡地に建立した記念碑が今に伝えている。

明治天皇も立ち寄った場所

稼働たった2年!? 苫小牧美々に開拓使の鹿肉缶詰製造工場があった

製造中止直後の1881年9月3日、道内を行幸していた明治天皇がここ美々缶詰工場の寄宿舎で小休止した記録が残っている。その際、ここの飲料水を差し上げたことから、この地は「御前水」と呼ばれるようになった。その記念碑は1919年に設置されている。

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