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道内唯一、たった2年で消滅した亀田市をご存知?


 市町村合併は道内でも繰り返されてきました。そんな合併の歴史の中で、道内では唯一、市同士が合併して、1つの市が消滅した事例があります。それはどこかご存知ですか?

 結論から申しますと、亀田市と函館市です。2004年に亀田半島の4町村との合併を果たしましたが、その合併ではなく、もっと以前に合併した記録があります。

 函館市は言うまでもなく、古くから栄えた函館山・函館港を抱える港町。一方で、亀田市は函館市に隣接し、五稜郭を擁する行政区になります。

 亀田市の歴史は、室町時代に亀田館、江戸時代、1604年に亀田番所が設置されたという記録が残っています。亀田郡亀田村が発足した後、1902年、二級町村制施行にあわせ、神山村、鍛冶村、桔梗村、石川村といった周辺村と亀田村になりました。

 亀田村はその後1949年4月になって函館隣接の港町を函館市に編入したことにより、内陸の町になりました。その後は隣接する函館市の市街地拡大に伴って亀田地区も人口が増加していき、1962年1月に町制施行し「亀田町」、1971年11月に市制施行し「亀田市」になりました。

 国勢調査や住民基本台帳によると、1965年には約2.9万人の人口でしたが、1971年に5.5万人を数えるまでに急増していることがわかります。町制施行から2年後・編入直前の1973年10月の住民基本台帳では、6.6万人という驚異的な人口増ぶりを記録しました。

 その亀田市時代はわずか2年で終わりました。1973年12月1日、亀田市を函館市が編入合併したことにより、市新設による一時消滅を除けば道内で初めて、編入による市 消滅が記録されることになりました。

亀田市と函館市の合併構想の理由

 とはいえ、なぜ亀田市は自立の道を歩まず、函館市と合併したのでしょうか。そもそも、亀田村との合併構想は昭和前期時代からあり、当時の函館市長は亀田村・上磯町(現在の北斗市)との合併を前提とした都市計画構想を計画していました。つまり函館市の強い働きかけがあったというわけです。1938年には亀田村との合併協議があったと記録されています。

 その後も合併協議が中断しながら進められ、第一弾として、亀田の港町地区の編入が決定しました。有川埠頭が函館市となったことで、港湾整備が進められることになりました。その後も合併推進派の町長が当選したことにより、合併話が加速、ついに1973年に30万都市・函館の誕生に至ったというわけです。

亀田市と函館市の関係の歴史
1899年 亀田村の一部を函館区に編入
1902年 龜田村、神山村、鍛冶村、桔梗村、石川村をもって亀田村とする
1911年 五稜郭駅開業
1919年 一級町村制
1935年 国勢調査で1万人
1949年 港町一部を函館市に編入
1962年 亀田町に町制施行
1965年 国勢調査で2.8万人
1967年 合併推進派の町長当選
1970年 国勢調査で5万人
1971年 亀田市に市制施行
1973年 住民基本台帳で6.6万人、両市議会合併議案可決、函館市に編入合併し30万都市誕生

 現在は亀田市と函館市の境界線が分からないほど市街地が続いている状況です。海沿いの町・函館の市街地拡大は内陸部に広まるしかなく、隣接した亀田地区が市制施行するのは時間の問題であったともいえます。合併後は市境界線の撤廃により、人口移動が加速し、函館の街の人の流れが変わるようになっていきました。

 今度、函館に行って亀田という地名を見る機会があれば、昔あった亀田市を思い出してみるのもいいのでは。

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