学ぶ

ガルトネル、果物栽培を日本に持ち込んだ人物

編集部
Written by 編集部

 ガルトネル。あまり聞いたことないかもしれませんが、この人物は、今 の日本における果物栽培の基礎を築いた人物です。北海道を舞台に活躍し ましたが、「ガルトネル事件」が発生し、箱館を去りました。

ガルトネル、果物栽培を日本に持ち込んだ人物

ガルトネルとは

 リヒャルト・ガルトネルは、プロシア、つまりドイツの貿易商人でした。 まだ江戸時代であった1863年に箱館に上陸し、貿易を行っていました。ち なみに弟コンラート・ガルトネルは箱館駐在プロシア副領事でした。

 1867年にガルトネル弟が箱館奉行から農業試作を依頼されました。弟は 兄を紹介し、兄は農業試作用地を貸与されました。現在の七飯町の地を借 用し、徳川幕府・箱館奉行の許可を得て西洋農法で開墾を開始しました。

 彼は、この七飯で、日本で初めて栽培したリンゴをはじめ、洋ナシ、グズベリー、サクランボといった西洋果物の苗木を持ち込んで栽培を始め ました。ここから、日本全国にこうした果物の栽培が広まりました。

ガルトネル開墾条約事件/七重村租借事件

 徳川脱走軍による蝦夷島政府が蝦夷島を占領すると、この政府と1869年2 月19日に「七重村開墾条約」が締結され、300万坪の地(七重、飯田、大川、 中島)を99年間借用する契約としました。

※蝦夷地七重村開墾條約書全文~1869年2月19日締結

 その政府は一時的なものであり、箱館戦争後に箱館府が以前の契約を踏襲 し同様の契約を締結(同年6月16日)しなおします。その後に設置された開拓使 は、ガルトネルに貸与している土地を取り戻そうと返還交渉をしました。理由 は、外国に貸与しているのは開拓で支障が生じること、その土地をもとに外国 人に占領されることを恐れていたと思われています。

※地所開拓之為蝦夷政府アル・ガルトネル氏の約定全文~1869年6月16日締結

 政府による交渉苦労の末、1870年12月10日に政府が賠償金62500ドルをガル トネルに支払うことで妥協、農業試作用地を回収、契約解除しました。これ は外交知識がなかった政府の失態であり、外交問題にまで発展しました。ガ ルトネルは翌年ドイツに帰国しました。

 結局こうした動乱の時代にガルトネルは何回契約したのでしょう。

・江戸幕府箱館奉行・杉浦兵庫頭 と
・箱館裁判所判事・井上石見 と
・徳川旧幕府軍による新政府・榎本 と 蝦夷地七重村開墾條約
・箱館府清水谷公考府知事 と 地所開拓之為蝦夷政府アル・ガルトネル氏の約定

ガルトネル、果物栽培を日本に持ち込んだ人物 このガルトネル事件を題材にした小説が、これ
「箱館売ります-幕末ガルトネル事件異聞-」

富樫 倫太郎 (著)
新選組、土方歳三も登場する幕末の史実に基づく物語。ガルトネル事件を知る一冊。
目次
第1章 ロシアホテル
第2章 金十郎、山を下りる
第3章 土方歳三
第4章 ガルトネル事件
第5章 弁天島

こんにちのガルトネルの名残り

 七飯町には現在、ガルトネルが植林した人工ブナ林「ガルトネル・ブナ林」 があります。その七飯町はこうしたガルトネルの功績ゆえに「西洋農業発祥 地」とうたっています。ガルトネルの土地だったところには開拓使が官設の 七重農業試験場を設置し、農業の発展に寄与しました。

筆者について

編集部

編集部

北海道ファンマガジン編集部。編集部スタッフが取材執筆した記事や、名前を出さないライターの記事、寄稿記事の掲載の際にもこのアカウントが使われます。