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北海道史4三県一局時代と北海道庁

官営の充実

 1871年以降、開拓史による官営工場が誕生していきました。それらは札幌に集中させ、工業団地を形成させました。開拓使麦酒醸造所は現在のサッポロビールの前身。炭鉱開発もお雇い外国人のクロフォードを技術長として幌内鉄道建設に着手小樽は石狩の玄関口として栄えていきました。道路整備も行われたり、東京~函館・小樽の定期航路も開かれました。

 また札幌農学校が設立されたり、小学校も学制通りの学校は道南に見られるだけでほかは北海道独自の特例として変則小学校も登場したりしました。江戸時代を起源とする北海道独特の駅逓所(えきていじょ)の制度が整備されました(本州では本陣(=海上屋・会所・通行家・旅宿所)が廃止された際運輸業務も民間に委ねられた、北海道では交通不便のため宿泊・運送・通信の便を図るために人馬を備えた駅舎が設けられた)。

樺太千島交換条約

 樺太開拓使廃止、樺太から日本人引き上げ通達。その後樺太を譲るから千島をくれという交換条約が締結されました。樺太南部のアイヌ841人はまず宗谷へそれから江別の対雁に移住させ農業を強いました。千島のアイヌは日本国籍を選んだ97人を色丹島に強制移住させました。さらにアイヌの生業を奪い、区分する際には旧土人とするようにと命じられました。そして和人への同化政策を強行しました。

3県1局時代

 1882年開拓使10年計画が終了すると開拓使廃止、函館県・札幌県・根室県の3県が置かれることになりました。翌年には農商務省北海道事業管理局が設置され、主に管轄することになりました。これらをまとめて3県1局時代と呼びます。3つの県令と局長は薩摩出身でした。ただし本州の県とは異なり自治権がない特別な県。

 この時期に、北海道の警察や郡役所や戸長役場が整理されました。この行政管理は北海道独特で進められ、本州で適用された地方三新法のうち郡区町村編成法だけが北海道で実行され、90の郡区、826の町村が設定され、戸長は公選ではなく官選でした。

 集治監が設置されたのはこの時期で、石狩国樺戸郡須倍都太に樺戸集治監、空知郡市来知に空知集治監、釧路国上川郡標茶に釧路集治監、その後網走や帯広(十勝)が分監として設置されました。後に釧路と空知は廃止され、札幌・函館・根室・樺戸・網走・十勝が監獄となりました。こうして北海道は囚人を道路開削工事、橋の建設、屯田兵屋建設、炭鉱労働、硫黄採掘などで酷使し開拓をすすめていきました。この強制労働体制は廃止はされるのですが、タコ労働として結局受け継がれていくことになりました

移住者急増

 この明治時代は移住者により人口が類を見ないほど急増しています。開拓使設置時代は58000人でしたが、北海道庁設置時は30万人、その4年後に42万人、その15年後には119万人にまでなりました。明治初期の10年は主に士族層、屯田兵が多く一般移民はごくわずかでしたが、その後は西日本を中心に離農者が移住してきたり、明治後期から大正時代には東北の大凶荒により東北地方から農業移民として続々とやってきました。いわゆる北海道移住ブームです。東北地方が最も多く、続いて北陸地方、四国からも多くやってきました。

 会社(結社)ぐるみの集団移住も見られるようになってきます。帯広には依田勉三らの晩成社、浦河郡に赤心社、岩内や手稲、乙部、湯の川などには開進社、江別太には北越殖民社。また、札幌県は岩見沢、函館県では木古内、根室県では鳥取と、3県に1箇所ずつ移住士族取扱規則により食料や家作などの保護がなされる地域を作りました。

 移住してきた多くの人たちはまず道央石狩国に入植、それから道南圏、道東や道北に移動するパターンが多かったようです。何度も移住したりしたため、流動性は激しく、地域住民との結束はあまりありませんでした。文化についてみれば、様々な地域からの人たち同士で摩擦が起きたり衝突が起きたりしました。比較的歴史を持つ道南は浜ことばがあるものの、それ以外の各地でお互いの文化を取り入れた融合が進み、ひとつの文化を作り上げることになりました。

北海道庁スタート!

 1886年、3県と1局体制はわずか4年で廃止され、北海道庁が発足しました。府県と同じ地方行政ではありましたが、中央政府による組織で、トップは知事ではなく長官、そして内務大臣管轄ではなく内閣総理大臣指揮下に置かれました。初代長官は高知藩出身岩村通俊。

 開拓適地の選定調査が行われ、それら植民地には基号線による碁盤の目の区画割が行われました。開拓に際し、土地貸下げが行われたり、北海道国有未開地処分法が施行されて小農民移住者には特定地を無償で貸与・付与しました。そうすると次第に国有未開地処分面積が減少してきます。こうして北海道開拓時代が終わりを迎えることになります。

 また、当時は徴兵制免除地域であった代わりに、衆議院議員選出権がありませんでした。それで札幌や函館、小樽を中心に地方自治を目指し北海道議会開設運動が繰り広げられました。結果北海道会開設や北海道区制、北海道一級町村制が施行され、札幌・函館・小樽の3区で衆議院議員選挙が実施されることになりました。

北海道旧土人保護法

 北海道開拓進行が進みアイヌ民族の生活を苦しめていたことから、1899年明治政府により北海道旧土人保護法が施行されました。農業を勧める、医療支援、教育強化の3本柱でした。これは諸外国に日本の近代化を示すためでした。当時のアイヌ民族の生活しているところは、日高国が最も多く続いて胆振国、十勝や釧路も多い地域、渡島は最も少ない地域でした。

日清戦争と軍事

 函館・福山・江差以外は徴兵令がなかった北海道でしたが、日清戦争により臨時の第七師団編成があったり、その台頭で屯田兵制度が廃止されたり、渡島・後志・胆振・石狩の4つの国で徴兵令が実施されるようになりました。その後全道で実施されたものの兵士はほぼ内地依存でした。この第七師団は札幌から徐々に旭川へ移転していき、旭川=軍都になりました。


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