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北海道史5世界大戦から現代へ

編集部
Written by 編集部

北海道第一期拓殖計画

 開拓使10年計画と北海道10年計画に続く明治維新三大事業計画として北海道拓殖事業計画が行われるようになります。鉄道と港湾と排水と運河と道路の5事業を真髄とした北海道10年計画でしたが、この計画は移民招来と道路新設、泥炭湿地の改良、河川護岸工事や石狩川治水工事、小樽や釧路、留萌など8港整備などが含まれました。

明治の産業

 漁業はほとんどがニシン漁で占めていました。日本海側には鰊御殿がたくさん建てられ富裕層が出現しました。しかしそれもつかの間、北海道沿岸から鰊が徐々に姿を消してしまいました。一方、稲作産業も本格的にスタートしたのは明治期。水田比率はわずかに7%であり、畑作が中心でした。

 炭鉱事業も拡大し、幌内だけでなく空知太や室蘭への鉄道延長工事が行われるようになりました。日露戦争後には王子製紙に代表されるパルプ製紙や日本製鋼所に代表される金属機械工業など工業発展が始まりました。また、女性も男性と同じように開墾で力を発揮していました。

開道50周年

 1918年は開拓史が設置されてから50年記念。記念式典が執り行われたり、北海道史編纂が行われました。また大々的に博覧会を開催し、北海道が内地化されていることを誇示しようとしました。市町村制度も北海道独自で、二級町村では自治が制約されていたり、市制ではなく区制を当初施行していました。

北海道第二期拓殖計画

 この計画では、昭和初期から始まり、根釧原野では畜産農業を奨励する根釧原野開発五カ年計画を実施、北方産業のひとつとして北海道酪農の基盤となりました。その他に空知や上川は稲作、十勝や網走は畑作というように地域ごとに専門的に生産する方法もこの時期スタートしました。さらに鉄道網充実なども含まれました。

 この時期、労働争議、ストライキも炭鉱工員や一般庶民から持ち上がりました。戦争の時期に入ると満州に注意が注がれ、北海道は開拓地としての地位は低下していました。次第に朝鮮人や中国人が強制労働者として送り込まれるようになっていきました。

太平洋戦争

 太平洋戦争時期には旭川の第七師団も樺太や満州など、またミッドウェー・アリューシャン作戦などのために出兵しました。太平洋戦争末期には、北海道でもアメリカの空襲、青函連絡船沈没(これで事実上本州との交通がストップ)や艦砲射撃による攻撃を受けました。道南や道央、道東で攻撃を受け、特に多かったのは根室で船舶及び市街地に空襲を受けて400人もの死者、室蘭でも400人を超える死者、青函連絡船でも同じほどの死者が出ました。その他、札幌、函館、旭川、釧路、帯広、小樽、網走、伊達、苫小牧、留萌、富良野、岩内、長万部、浦河、静内、広尾、本別、厚岸、中標津、石狩、厚田、積丹、古平、八雲、江別、厚真、門別、新冠、様似、えりも、大樹、更別、音更、幕別、士幌、池田、阿寒、標茶、釧路町、白糠、音別、浦幌、豊頃、浜中、別海、標津、小清水、美瑛、比布、増毛、寿都、鹿部、南茅部、椴法華、戸井、知内、福島、松前、上磯、砂原、森でそれぞれ空襲を受け人的被害が出ました。人的被害がなかったのは岩見沢、木古内、登別、白老、神恵内、共和、余市、千歳、由仁、追分、鵡川、浜益、鷹栖、清里、斜里で、上記いずれも留萌以北は空襲を受けていません。

戦後復興

 日本が無条件降伏したあとのほうが、北海道付近の地域で戦闘が激化しました。樺太南部や千島列島でソ連との衝突が続き、樺太では日本兵武装解除、千島列島占領に至りました。北海道本島にはアメリカ軍が占領し、ソ連と対立する場となりました。そしてアメリカ軍は、連合国軍が占領した内地とは違い、北海道にアメリカ太平洋軍の北海道地方軍政部を置いて軍政を開始しました。

 戦後、北海道疎開者戦力化実施要領を定め、戦災者疎開者から募集し北海道へ入植させました。これは主に大空襲を受けた東京都出身者がほとんどでした。ポツダム宣言により、食糧自給・増産が命じられ、北海道、特に道東で、さらに開拓が推し進められることになっていきます。

 さらに、北海道が発展してきており内地の府県と同じようにみなされ、府県制は道府県制に改称されました。こうして行政も新しい制度になり、特にはじめて北海道庁長官が選挙によって選ばれることになりました。北海道総合開発においてはまだまだ問題が多く、北海道開発法が制定され、北海道開発庁が設置されることになりました。ソ連の脅威も続いており、自衛隊の増強が行われ、農民たちによって恵庭島松と別海矢臼別に演習場に反対する裁判沙汰の事件も起こりました。

高度成長期

 1960年代、第二期北海道総合開発計画では青函トンネル建設苫小牧工業基地開発を重要視するものとなりました。札幌市では人口が100万人を突破して政令指定都市になるまでに成長しました。第11回冬季オリンピックが札幌で開催されました。

 北方領土も戦後動きがあり、ヤルタ協定で南樺太がソ連に返還、千島列島はソ連に引き渡されるとし、サンフランシスコ平和条約では千島列島を放棄するとしました。しかしいずれも効力はないため、引火でも北方領土問題が続いています。

そして現代へ

 第二次産業の石炭鉱業は、徐々にエネルギー革命により衰退していき、漁業は北洋漁業や遠洋漁業依存体制でしたが200海里水域制定などで徐々に減少、稲作においては自主流通米制度で北海道米が劣る品質のために不利となり、総合的にみて、農村漁村、産炭地から人々は転出し、逆に札幌、東京といった大都市に移転するようになりました。国鉄路線も続々廃止されました。アイヌ民族については、平成にアイヌ文化振興法が成立し、アイヌ民族初の国会議員萱野茂氏が誕生しました。

さいごに

北海道史5世界大戦から現代へ  この北海道の歴史については、北海道の学校でさえ、ほとんど詳しく取り上げられないのですが、北海道民として概要だけでも知っておくべきことだと思います。これ以外にも北海道は汗と涙の結晶ですから、数々の喜怒哀楽の歴史があるわけです。この北海道略史を書くにあたって、「北海道の歴史県史」 という書籍を参考にさせていただいて大変感謝しております。北海道の郷土史の集大成はこの本にあると思っています。それくらい細かくわかりやすく書かれていますので、ぜひもっと知りたい、というあなたはお読みくださいね。

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