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新渡戸稲造は北海道で大活躍

 新千歳空港を新渡戸空港に改名しよう……という動きがありました。 新千歳空港といえば北海道の空の玄関で、国際便も発着する巨大な空港。 そんなところを改名するのに「新渡戸」という名前はどっから持ってきた の?という疑問を持った方も多いはず。

 「新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)」。これは歴史上の人物の名前です。 しかも北海道の歴史や世界の歴史にも名前を刻んだ歴史上重要な人物なの ですが、道産子でもこの人のことをほとんど知らない、または北海道に何 の関係があるのかすらわからない人もいるようなのでここで取り上げたい と思います。道民は必ずチェックです(お急ぎの方は最後の部分を読めば)。

新渡戸稲造は実はすごい人!

 生まれは1862年、北海道ではない南部藩(現在岩手県)盛岡。家柄は武士 の家系で十和田地域の開拓を行った経歴を持っていました。どんな顔をし ていたのかは、2004年まで発行の旧5千円札の肖像画をご覧下さい。全身 を見たければ北海道大学へ行けば銅像があるので。

 北海道にやってきて札幌農学校に入学し、その後東京帝大に進学。さら にさらにアメリカ合衆国ジョン・ホプキンズ大学へ留学したりドイツに留 学したりしました。

 国内の活躍では、主に女性の教育に力をいれ、東京女子大学初代学長に 就任、女子経済専門学校(東京文化学園)初代学長に就任などの経歴を残し ています。彼の残した名言として「われ、太平洋のかけ橋とならん」があ ります。

 世界的活躍では、日本の武士道の精神を紹介した「Bushido」が世界的 名著に。台湾では殖産局長兼製糖局長に就任して台湾を世界五大砂糖生産 地へと変えたり、現在のユネスコの世話役をしたり、なんといっても第一 次世界大戦後に発足した「国際連盟の事務次長」に就任したことによって、 世界的に名を知られるようになっていきました。

北海道でたくさん活躍!

 1877年に、北海道の札幌農学校(=Sapporo Agriculture College:現在 の北海道大学)第二期生として入学します。そしてあの「少年よ大志を抱け (=Boys, be ambitious)」で有名なウィリアム・S・クラーク博士から学び キリスト教徒になります。札幌農学校卒業後すぐに、開拓使御用掛勧業課 で2年ほど奉職、その後上京しました。

 留学し帰国後、母校の札幌農学校にまたやってきました。今度は教授と して、また北海道庁技師も兼務で。当時では初めてゼミナール方式の授業 を取り入れたり、学生と一緒に学会を作って研究したりと、教育熱心でし た。中でも「札幌史学会」では、北海道で初めての町村史を刊行して、北 海道の歴史・文化研究に大きな功績を残しました。

 その他にも、アイヌ教育や、スケート普及、何より北海道開拓と農業 (稲作中心に)の発展といった事柄に大きく貢献しました。また、米国人の 妻を持ち、夫婦で1894年「遠友夜学校」を設立したことも功績。札幌にい る貧しい子供の教育のためにと、ボランティアに支えられて運営されまし た。女子校北星学園の運営者としても活躍しました。

つまり……新渡戸稲造とは

 新渡戸稲造は、
 ・岩手県出身だけど北海道で活躍して大きく貢献。
 ・農政者として北海道の開拓事業と農業の発展に大きく貢献。
 ・教育者として(特に女性・貧しい子供の)教育の発展に大きく貢献。
 ・国際連盟や名著Bushidoなどで国際的に知名度あり。
 という人物です。

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