新1万円札の渋沢栄一は北海道のあの企業の設立に関わっていた!

2024年度発行予定の新1万円札の肖像として採用されることになった渋沢栄一。実は北海道にもゆかりの深い人物だったのです。金融から製造業、インフラに関わるまで、あの有名企業も実は渋沢栄一が設立に関わっていた! その代表的な例を一挙ご紹介します。

▼新1万円札の肖像に採用される渋沢栄一(見本:財務省)

サッポロビール、JR北海道、そして北ガスも……

渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県生まれの実業家。日本最初の国立銀行や東京証券取引所の設立をはじめ500社ほどの設立に関与。現在に続く大企業の礎を築くなどしたことから、日本資本主義の父と呼ばれます。

▼実業家の顔を持つ渋沢栄一

誰もが知っている名前の大企業としては、現在のサッポロビールが挙げられます。1887年に開拓使麦酒醸造所を継承した「札幌麦酒会社」で委員長を務め、「札幌麦酒株式会社」となった際には取締役会長に。その後、1906年に3社合併により「大日本麦酒株式会社」を設立する時に設立総会議長となり、取締役に就任しました。

▼あのサッポロビールが札幌麦酒だった時に経営に関与

鉄道交通の開設にも深く関わっています。北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)は北海道炭礦鉄道や函樽鉄道がルーツです。1889年、幌内鉄道を譲受して道央の炭鉱開発と石炭輸送をメインとする「北海道炭礦鉄道会社」の発起人・常議員(1893年まで)に。同社はその後、「北海道炭礦鉄道株式会社」(本社:小樽)を経て1949年に国有化、皆さんご存知のJR北海道になりました。

一方、JR北海道へと続く別の源流として1899年、函館―小樽間の函館本線敷設に際して設立された「函樽鉄道株式会社」の創立発起人にもなっています。この会社は1900年に「北海道鉄道株式会社」となり、相談役に就任。こちらも国有化を経て、JR北海道になりました。

▼JR北海道の源流にも関与

函館では、函館市街の馬車鉄道運行を柱とする「亀函馬車鉄道株式会社」が1898年に「函館馬車鉄道株式会社」となった際に株主となっています。1909年に「函館水電株式会社」の株主になり、1911年の両社合併を経て現在の「函館市企業局交通部」いわゆる函館市電となっています。

▼函館市電のルーツにも渋沢栄一の名が

インフラ整備のひとつとして、ガスがあります。現在の北海道ガス株式会社の設立に関わったのも渋沢栄一でした。1911年に「北海道瓦斯株式会社」が設立されるに当たり、発起人そして株主となっています。登記上の商号は現在も継承されています。

金融機関や造船・土地開発・木材・製紙・製麻にも尽力

国立銀行を次々と設立した渋沢栄一。1877年から1897年に存在した「第二十国立銀行」は本店こそ道外ですが、函館、小樽、根室、札幌に支店や出張所が設置されました。同行の創立指導・援助を行ったのが渋沢栄一でした。また、1900年に設立され1999年に経営破綻した「株式会社北海道拓殖銀行」(本店:札幌)の設立委員も努めています。

渋沢栄一は、1887年に設立された「北海道製麻会社」(本社:札幌)の相談役を務めた後、1893年に「北海道製麻株式会社」の監査役・株主に。1907年には帝国製麻株式会社の相談役も努めました。現在は帝国繊維株式会社や東邦テナックス株式会社となっています。

製紙業においては、1873年「抄紙会社」の設立に関わり、これが後に苫小牧市に工場を建設、現在の「王子製紙株式会社」へと続くことになりました。また、造船業にも関わったようで、1896年に「函館船渠株式会社」の創立委員長、そして取締役や相談役、整理委員を努めました。同社は後に函館ドック株式会社を経て、現在の函館どつく株式会社となっています。

▼函館どつくのルーツ

この他にも、「函館土地合資会社」(1899年~?)に出資、「小樽木材株式会社」(1906年~?)設立発起人会議長・相談役、「石狩石炭株式会社」(1906~1920年)顧問(現在の北海道炭鉱汽船のルーツの一つ)のほか、「十勝開墾合資会社」を経て「十勝開墾株式会社」となる会社(1897~1934年)において渋沢同族が株主になっています。十勝の開拓に関連し、雅号「青淵山」を冠した清水町の「壽光寺」はゆかりの地の一つとして数えられています。

倉庫業の名残を小樽に見る

渋沢栄一の名を残す会社としては、「澁澤倉庫株式会社」があります。1897年に澁澤倉庫部として設立した会社は、1909年に現社名に。1915年に小樽出張所(後に支店)を開設しました。

▼小樽港の埠頭には今も「澁澤倉庫」の建物がある

大正時代に小樽進出を果たした澁澤倉庫。その名残は、小樽運河沿いの石造り倉庫群として残され活用されています。中でも「旧澁澤倉庫」と呼ばれる小樽市色内の建物は、明治時代の1892年頃に遠藤又兵衛が建てたとされる木造石造倉庫。向かって右側を建築した後に左側の建物を建築、最後に2棟をつなげたとされています。この建物は1919年に澁澤倉庫が譲受し小樽支店とし、現在はカフェ・ライブハウスの「GOLD STONE」として活用されています。

▼GOLD STONE(旧澁澤倉庫)

渋沢栄一は1908年8月12日から31日にかけて家族同伴のもと、函館、小樽、札幌、旭川、十勝清水、釧路、夕張、登別、室蘭、森を旅した記録も残されています。北海道の大企業を次々と設立し、北海道開発・発展の礎を築いた渋沢栄一。北海道各地にあるゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。