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塩狩峠と三浦綾子

編集部
Written by 編集部

 1909年2月28日に塩狩峠で事故が発生してから2009年で100年になります。 塩狩峠というのは、旧天塩国と石狩国の境界にあった峠であることから名 付けられた峠です(現在は上川支庁管内和寒町・比布町間の境界)。

 1909年に塩狩峠で起きた事故は、強烈なインパクトを残し、のちに作家 の故三浦綾子氏が書いた小説「塩狩峠」のモデルともなりました。2009年 は和寒町などで記念行事も行われます。

塩狩峠と三浦綾子

塩狩峠事故の概略

 1909年2月28日夜のこと、急坂で険しくカーブの多い塩狩峠を、名寄方面 から旭川方面へ向かう旅客列車が登坂走行していました(現在の塩狩駅北の 約3.2km地点とされている)。当時は現在よりも勾配が急で、宗谷本線最大 の難所とされていました。冬ですから、とうぜん積雪もありました。

 峠の頂上まであと3kmほどというところで突然、最後尾の客車の連結器が 外れ、後退・逆走し始めました。坂を下り始めたのです。あわや暴走するか というところで、ある乗客がとっさの判断をしました。

 デッキにあった非常用ハンドブレーキを回し車輪の回転を停止させるも、 レールが凍りついていて意味なかったので、飛び降りて線路に身を投げて、 車両の車輪の下敷きとなり、暴走を食い止めたのでした。今、まだこのス ピードなら車両を止められると考えたと小説では説明されています。

 このとっさの判断で自らの命を犠牲にして乗客の命を救った乗客は、国 鉄の前身である鉄道院職員である長野政雄という人物でした。当時、彼は 旭川運輸事務所庶務主任で、キリスト教徒でもありました。偶然この列車 に乗り合わせていました。

小説「塩狩峠」

 この事実をもとにした小説が「塩狩峠」です。この小説は北海道を代表 する作家のひとり・三浦綾子氏の作品です。主人公となる長野政雄は小説 中では永野信夫としてストーリーが展開されます。

 上述の事故の概略は小説も参考にしていますが、実は事故については諸 説あるようです(小説も創作品ですから完全に正解ということではないは ずです)。非常用ブレーキを回しているうちに滑って転落した事故死であ るとか、国鉄という国の機関で明治時代であることも考えると、多少美化 されているのではという説もあり、具体的な内容については分かりません。 詳細を調べても憶測の域を出ません。

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