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択捉島とは?


 択捉島(えとろふとう)。ロシアが実効支配している北方領土の四島の一つ です。アイヌ語の「エトゥオロプ(岬のあるところ)」に由来。ロシア名も「イトゥルップ」です。

 北方領土内では最大面積を誇り、国内最大の島、日本最北端の島でもあります。面積は北方領土内で63.4%を占める3185.65km2。国後島と同じく南西から北東にかけて細長い島であり、その全長は約204kmです。


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留別村(るべつむら)

 択捉島には3郡3村があります。そのひとつは「択捉郡留別村」。択捉郡1郡には留別村のみ所属します。面積1450.24km2で、島の南部を占めています。2005年までは国内市町村で最大面積を誇っていましたし、今も国内の村で最大面積を誇っています。

 留別村は1923年4月1日に択捉郡丹根萌村(たんねもい)、内保村(ないぼ)、振別郡振別村(ふれべつむら)、老門村(おいと)、紗那郡留別村が合併し、択捉郡留別村が誕生し、現在に至っています。

 このとき振別郡が消滅しましたから、合併前の択捉島には4郡10村がおかれていたことになります。留別市街地は紗那市街地に近接していて、オホーツク海側にありました。振別、内保、老門もオホーツク海側に面しました。

 江戸時代の1754年、松前藩のクナシリ場所に所属、1786年・1791年には最上徳内が択捉島を探検したり、1798年には近藤重蔵とともに調査を行って丹根萌に標柱「大日本恵登呂府」を建立しました。高田屋嘉兵衛は1799年に択捉定期航路を開きました。

 1800年には弘前藩・盛岡藩が警備を行い、ようやくエトロフ場所が設置され択捉島内に17の漁場ができたのは1801年のこと。1807年にはフヴォストフ事件が発生し、内保の番屋をロシアが攻撃・放火しました。1855年には振別陣屋を拠点とした仙台藩が警備を行うようになり、1869年に択捉郡が設置されました。

 現在、村内太平洋側に面する天寧地区には天寧空港(ロシア名:ブレヴェスニク空港)があり、軍用民間兼用空港として活用されています。サハリン・ユジノサハリンスクと週4便定期便が結んでいます。旧滑走路1200m、新滑走路2380mがあります。

 こうしたことから、現在は天寧地区に6500人のロシア人が居住していますが、かつての村役場があった留別地区(ロシア名:クイビシェフ)、内保(ロシア名:ドブロエ)は廃村状態であります。かつて戦前には留別村に424世帯、2258人が生活していました。北方領土全体で13.1%の人口を占めました。

択捉島留別村の地区別主要施設
留別地区: 留別村役場、学校、神社、寺院、駅逓、根室区裁判所出張所、郵便局、紗那警察署派出所、北海道サケマス孵化場、紗那営林区署駐在所
天寧地区: 学校、神社、寺院、駅逓、海軍飛行場、カニ缶詰工場、紗那警察署派出所、郵便局
内保地区: 学校、神社、寺院、駅逓、紗那警察署駐在所、郵便局、紗那営林区署駐在所
入里節地区: 学校、神社、寺院、北海道水産物派出所、郵便局、紗那営林区署駐在所
年萌地区: 学校、神社、寺院、駅逓、捕鯨会社、郵便局、紗那営林区署駐在所
ウエンベツ・具谷地区: 学校、神社、駅逓、カニ缶詰工場、北海道水産物派出所
老門・羅臼地区: 北海道サケマス孵化場

紗那村(しゃなむら)

 紗那郡紗那村は択捉島中部を管轄する村。面積は973.3km2です。紗那村は1923年4月1日に、紗那郡紗那村、有萌村(ありもい)、別飛村(べっとぶ)の3村が合併し紗那郡紗那村が誕生しました。オホーツク海側に飛び出した半島西側付け根に市街地が位置します。

 戦前もロシアが実効支配している現在も紗那地区が択捉島の中心市街地となっています。ロシア名はクリリスクです。戦前には紗那村に226世帯、1001人が生活、北方領土全体で5.8%を占めました。現在は3634人のロシア人が生活しています。学校、病院、ホテル、日本の支援で設置した診療所などがあります。

 中心街がある紗那はオホーツク海に面していますが、北約4kmのところにある内岡湾(ナヨカ湾)(ロシア名:キトブイ湾)を海の玄関口としています。サハリン・コルサコフとの間にサハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号による週2便の定期航路が開設されています。

 太平洋側にある単冠湾(ひとかっぷ)は冬季に流氷が接岸しない天然良港 であり、1941年の真珠湾攻撃前に海軍が最終集結した湾です。別飛地区には北方領土で大繁盛したギデロストロイ社水産加工工場があります。その資本を元手に択捉銀行が設立されています。この別飛地区には現在、ロシア人など1500人が生活、ほとんどが水産関係の仕事をしています。

 また、これまで天寧の天寧空港が島の空の玄関口だったわけですが、遠いことと天候不順で欠航率が高いことから、紗那市街地近くに新国際空港が2008年3月に着工しました。滑走路延長1530mで、2010年に竣工予定です。

択捉島紗那村の地区別主要施設
紗那地区: 紗那村役場、学校、神社、寺院、駅逓、択捉水産会、医院、旅館、カニ缶詰工場、紗那警察署、北海道水産物検査所派出所、北海道サケマス孵化場、紗那営林区署、根室区裁判所紗那出張所、紗那測候所、北海道林産物検査所駐在所、札幌逓信局工務課出張所、函館税関私設保税工場、郵便局、北海道千島調査所
内岡地区: 捕鯨会社
別飛地区: 学校、神社、駅逓、サケ・マス缶詰工場、旅館、紗那警察署駐在所、北海道サケマス孵化場、郵便局

蘂取村(しべとろむら)

 蘂取村は1923年4月1日に、蘂取郡蘂取村、乙今牛村(おといまうし)の2村が合併し、蘂取郡蘂取村が誕生しました。ロシア名はスラブノイェ。現在はほぼ全域が自然保護区域に指定されており、一般道路は廃止、市街地も廃村状態になっていて、陸の孤島になっています。

 日本最北の村であり、アイヌ語「シベトロ(大きな川の処)」に由来します。戦前には89世帯、349人が生活し、北方領土全体で2%を占めました。中心地は北岸の北東端近く、蘂取川河口にありました。村域は面積760.5km2です。

択捉島蘂取村の地区別主要施設
蘂取地区: 蘂取村役場、学校、神社、寺院、駅逓、医院、旅館、紗那警察署駐在所、紗那営林区署駐在所、郵便局
トウロ・ビライト地区: 北海道サケマス孵化場
幌須地区: 神社、駅逓
曽木谷地区: 神社、駅逓
茂世路地区: 駅逓、鉱業所
年瑠璃地区: 駅逓

択捉島の地理

 紗那村北側の半島には「択捉富士」と呼ぶ標高1585mの散布山(ちりっぷ) があり、ロシアではボクダン・フメルニツキー火山と呼ばれます。日本最北端の岬である「カモイワッカ岬」が蘂取村にあり、近くにラッキベツ岬や蘂取沼、神威岳(1322m)があります。

 市街地のほとんどがオホーツク海側、つまり北岸に位置しています。留別村のある南部には西単冠山(1566m)、阿登佐岳(1206m)があり、内保湾や萌消湾と萌消島があります。この島は横たわる姿からライオン島とも呼ばれています。南端はメッカリ崎、横にベルタルベ崎があります。

択捉島の歴史

 最初の記録は1644年の「エトロホ島」についての記述です。1766年にロシアがアイヌから毛皮税を取り立てていたとされています。1786年に最上徳内が択捉島を探検し、1798年の近藤重蔵による訪問では「大日本恵土呂府」の標柱を建立して日本領土を主張しています。

 そのころ高田屋嘉兵衛が択捉航路を開設し、商場択捉場所を開設。当時 の人口はアイヌを中心に1118人だったと記録しています。1807年には紗那と留別村内保がロシアのフヴォストフにより襲撃された「シャナ事件」が発生しました。

 戦時下、太平洋戦争の真珠湾攻撃前には、太平洋に面する単冠湾に海軍が最終集結したことで知られています。終戦時には島全体で739世帯、3608人が生活しており、北方領土全体で20.9%を占めました。

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