北方領土に5郡6村があるのをご存知?

 北方領土の日は2月7日。北方領土は北方四島とも言われ、「ロシア連邦が不法占拠している」という表現が使われている地域です。事実上ロシアが領有している状態で、日本としては固有領土であり領有権を主張していて、返還を求めているわけです。北方四島とはご存知、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4つです。

北方領土にも村がある!?

 さて、北方領土には5郡と6村があります。自由に行き来できないこと、ニュースなどでも登場しないなどのため、あまり知られていませんが、実はこれらの郡と村は根室支庁管内に属します。つまり、厳密に言うと、根室管内は1市4町ではなく、1市4町6村なのです。国土地理院の面積統計一覧にもしっかり根室支庁の一部として含められています。

<本土分>
・根室市(支庁所在地)(歯舞群島も含む)
・野付郡:別海町
・標津郡:中標津町・標津町
・目梨郡:羅臼町
<色丹島>
・色丹郡:色丹村(しこたんむら)
<国後島>
・国後郡:泊村(とまりむら)・留夜別村(るよべつむら)
<択捉島>
・択捉郡:留別村(るべつむら)
・紗那郡:紗那村(しゃなむら)
・蘂取郡:蘂取村(しべとろむら)

 国後島には後志管内の泊村と同名の村があります。泊村が島の西側、留夜別村は島の東側に位置します。留別村は択捉島の西部、紗那村は中部、日本最北端のカモイワッカ岬がある蘂取村が東部に位置します。

 あれ、歯舞群島は?というと、現在は根室市に所属します。かつて本土側の珸瑤瑁村(ごようまいむら)に所属、後に同じく本土側の歯舞村などと合併し歯舞村に。その歯舞村が1959年に根室市と合併した、というわけ。

 以上6村に役場など実際の行政は存在しません。しかし北方領土の自治体については、廃村手続きがないまま日本人が引き揚げさせられてロシアの占領状態になったことから、現在でも日本の村として数えられています(普段は数えられず6村を除いて道内市町村数は179[2009年10月末日現在])。村名を入力して変換すればすんなり漢字変換されるわけです。

 根室支庁は本土分だけだと面積も小さそうに見えますが、北方領土を含めると道内の10.2%を占めています。日本の領土ですから、国民は誰でも北方領土の6村に本籍を置いて、いわば“北方領土住民”となることもできます。「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(1982年)に基づき根室市長が指名されており、根室市長に届けると可能になります。


北方四島―択捉島 国後島 色丹島 歯舞群島 (大型本)

山本 將文 (著) 1991/4発売、79p
戦後初めて北方四島をつぶさに訪問したカメラマンがカラー写真でレポート。日本初の北方四島写真集です。

千島国時代から占拠までの行政区の流れ

 北方領土に当たる択捉島以西の4島は、1869年8月15日以降「千島国」に属しました。当時は振別郡があって合計5郡でした。その後、1923年に以下の変更がありました。

<千島国(北方領土=南千島)合併変遷>
国後郡泊村 = 泊村+東沸村+秩苅別村+米戸賀村 [4村合併]国後郡留夜別村 = 留夜別村+大滝村 [2村合併]択捉郡留別村 = 丹根萌村+内保村(以上2村択捉郡)+振別村+老門村(以上2村振別郡)+留別村(紗那郡) [5村合併]紗那郡紗那村 = 紗那村+有萌村+別飛村 [3村合併]蘂取郡蘂取村 = 蘂取村+乙今牛村 [2村合併]※1897年~1903年は紗那支庁管内、1903年以降根室支庁管内。
※色丹島は後に編入し色丹郡設置。

 ちなみに、ウルップ島以北の千島列島にもかつて3郡ありました。それは1875年に樺太千島交換条約に基づいて、千島列島のウルップ島以北が日本領となったときから、終戦後にソ連軍に占領されるまでの間。千島国に得撫郡、新知郡、占守郡の3郡を編入しましたが、村はつくられませんでした。

<千島国(北千島)編入分>
得撫郡(うるっぷぐん) 得撫島~武魯頓島まで3島所属
新知郡(しむしるぐん) 新知島~雷公計島まで6島所属
占守郡(しゅむしゅぐん) 捨子古丹島~占守島まで10島所属

 以上3郡は後に根室支庁管内になりました。現在も実は、札幌国税局根室税務署管轄区域に含められているというから驚きです。