">
">国後島とは? – 北海道ファンマガジン [ファンマガ]
学ぶ

国後島とは?


 国後島(くなしりとう)。ロシアが実効支配している北方領土の四島の一つです。アイヌ語の「クンネ・シリ(黒い島)」と「キナ・シリ(草の島)」の2つの説があります。ロシア名も「クナシル」です。

 実は日本では択捉島に次いで2番目に大きな島です。面積1497.56km2で、全長は123kmの細長い島です。北方四島の中では29.6%の割合を占めています。北海道本土から近く、知床半島・羅臼町の南東沖、野付半島の北東沖にあり、肉眼で山並みを見ることができます。

 国後島はかつて北方四島の中でもっとも人口の多かった島でした。戦前のデータでは1327世帯、7364人が生活していました。北方四島の42.6%の人口を誇る島であったのです。現在は6000人のロシア人が住んでいますが、うち6000人は古釜布です。

 沿岸部に80以上の昆布・鮭・カニなどを漁獲する漁業集落があり、他に缶詰製造、酪農、硫黄採掘も行われました。戦後、ロシアが占領すると、1948年までにほぼ全員の日本人が北海道などに引き揚げました。古くから集落は島の南岸に多くあり、現在も島の北岸は別荘がある程度です。


より大きな地図で 北方領土 を表示

泊村(とまりむら)

 根室支庁管内国後郡のもとに2村設置されており、泊村、留夜別村があります。泊村は後志管内の同名の村とは別のものです。ロシア名は「ガラヴニノ」。「ゴローニンの街」という意味で、かつて起きたゴローニン事件の舞台になりました。

 泊村は1923年4月1日に、国後郡泊村、東沸村(とうふつ)、秩苅別村(ちっかりべつ)、米戸賀村(べとが)の4村が合併し、国後郡泊村が誕生しました。

 泊村は戦前には894世帯4864人が生活しており、国後島2村では最大の人口、北方四島の中でも最大人口を擁していました。村域は国後島の西半分を管轄します。泊村の面積は538.56km2。役場のあった島南端の泊には現在は300人程度のロシア人が生活しています。

 ここ泊は国後島で北海道に最も近い(約30km)集落で、島全体を管轄する官庁がおかれ、事実上の島の中心地として栄えました。北海道との定期航路も、根室~泊間を結んでいました。島中央に位置する古釜布は今や島最大の集落になりました(後述)。

国後島泊村の地区別主要施設
泊地区: 泊村役場、学校、神社、寺院、医院、国後警察署、北海道水産物検査派出所、北海道サケマス孵化場、国後営林区署、根室区裁判所泊出張所、郵便局、北海道林産物検査所駐在所
東沸地区: 国後警察署駐在所、国後営林区署駐在所、北海道水産物検査派出所、北海道サケマス孵化場、郵便局
古釜布地区: 旅館、国後警察署駐在所、郵便局、国後営林区署駐在所
古丹消地区: 国後営林区署駐在所
作万別地区: 北海道水産物検査派出所、郵便局
秩苅別・二木城地区: 北海道サケマス孵化場

留夜別村(るよべつむら)

 留夜別村は国後島東側を管轄する村で、アイヌ語「ルヨペッ(砥石がある川)」に由来します。河原に砥石としてアイヌが使っていた礫がたくさんあったことに由来するようです。

 留夜別村は、1923年4月1日に、国後郡留夜別村、大滝村の2村が合併し、国後郡留夜別村が誕生しました。つまり、合併前の国後島には1郡6村が存在していたことになります。

 留夜別村の面積は960.27km2で、同島最大面積を誇ります。1923年に留夜別村と大滝村が合併し留夜別村が誕生しました。人口は戦前で433世帯、2500人が生活していましたが、役場の置かれた留夜別市街地は現在はほとんど存在しない状況になっています。

国後島留夜別村の地区別主要施設
乳呑路地区: 留夜別村役場、学校、神社、寺院、駅逓、医院、公会堂、養狐場、旅館、国後警察署派出所、北海道水産物検査所、国後営林区署駐在所、郵便局
植内地区: 学校、神社、寺院、駅逓、医院、国後警察署派出所、北海道水産物検査所、国後営林区署駐在所、郵便局
ウエンコタン地区: 学校、神社
ポントマリ地区: 駅逓
温根沼・温根別地区: 北海道サケマス孵化場
白糠泊地区: 学校、神社、駅逓、製材工場、国後営林区署駐在所、郵便局
シベトロ・ソコボイ地区: 医院、製材工場、鉱業所、国後営林区署駐在所
礼文磯地区: 学校
岡布地区: 駅逓
アトイヤ地区: 灯台

いまや島の中心地「古釜布」

 現在は、留夜別と泊の中間にあるロシア名「ユジノクリリスク」という市街地 が栄えており、それ以外は集落がほとんどありません。現在ユジノクリリスクは6000人が生活する島最大の集落になっています。

 かつての日本名「泊村古釜布(ふるかまっぷ)」という集落も、同じところに ありましたが、現在の港湾の旧市街地にあたります。旧ソ連は占領後、日本に近すぎる泊ではなく島のほぼ中央に位置する古釜布を国後島の中心地とすべく、同集落の高台に新市街を築きました。旧集落には占領記念碑が建立されました。

 現在、古釜布には歯舞群島・色丹島・国後島を管轄する南クリル地区行政府のほか地区裁判所、泊村東沸にはユジノクリリスク空港などがあります。サハリンのユジノサハリンスク空港からのサハリン航空による定期便が週4便結んでいるほか、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルフトディノフ」号がコルサコフと週2便結んでいます。

 古釜布市街地北部の海岸線には、「蝋燭岩」という奇岩があり、観光名所 になっています。まわりに何もない砂浜からそびえたつ巨大な縦長の岩で、その姿から悪魔の指といわれてきました。

クナシリ・メナシの戦い、ゴローニン事件の地

 国後島にはアイヌが古くから生活していましたが、松前藩が泊・古釜布に飛騨屋のアイヌとの交易拠点「場所」を開設しました。しかし1789年にはアイヌの反乱にあって和人の商人が殺害されるなど、有名な「クナシリ・メナシの戦い」が勃発しました。松前藩が鎮圧しアイヌの中心人物37人を処刑し、交易場所を直営化、阿部屋村山伝兵衛が担当しました。

 ゴローニン事件の舞台でもありました。ロシアの軍人ゴローニンが1811年 にディアナ号で国後島に上陸した際、幕府役人にゴローニンら8人が逮捕されたことが発端となり、報復措置として日本人の高田屋嘉兵衛などをロシア側が抑留、結局1813年に捕虜交換で解決しました。

 その後アイヌは病気の持ち込みなどで消滅。アイヌとの交易ができなくなった同島では、季節的にニシン漁などの漁業を行う和人がやってくる程度の、ほぼ無人島と化した時期がありました。1999年には「日本人とロシア人の友好の家」通称ムネオハウスが建設され問題になりました。

国後島の地理

 南西から北東にかけて細長い島です。全長123km、幅は広くて30km、狭くて6kmしかないところもあります。北岸は今でも集落がほぼない状態ですが、昔から北岸は断崖絶壁が多く、南岸に集落が形成されてきました。北岸は5つの小錨地しかありませんでした。

 最高峰は島北部の爺爺岳で1822mです。北方領土内でも最高峰になります。火山であり、1973年に大噴火が発生、島全域に火山灰が降り注ぎました。その後もたびたび噴火しています。稜線が美しく、島のシンボルであり、チャチャと呼ばれ親しまれています。近くにルルイ岳(1485m)があります。

 エビカラウス山は842m、なぜか国後島にある羅臼山は887mで、こちらも火山。小羅臼山は800m、南端の泊山は541mあり火山です。

 しかし島西部は標高が低いため、羅臼町などから眺めても大きく見えないのですが、逆に国後島西部北岸などからみる知床半島は巨大な山脈が海から突き出ているかのように望めます。その名勝は国後島北岸の「材木岩」という柱状節理の奇岩です。

 湖沼が多くあります。南部にある一菱内湖は温泉で成る湖です。東沸湖がその北東にあります。南端の泊にある半島にはケラムイ湖があります。島中央の古釜布近くにはニキショロ湖、古釜布沼、北東端の安渡移矢岬(あといやみさき)付近に西ビロク湖と東ビロク湖(なぜか東西逆)があります。この岬の先には「弁天島」が浮かびます。一方、北端の岬はルルイ岬と呼びます。

筆者について

編集部

編集部

北海道ファンマガジン編集部。編集部スタッフが取材執筆した記事や、名前を出さないライターの記事、寄稿記事の掲載の際にもこのアカウントが使われます。