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今回のインタビューは島牧村出身の">中田雅史さんにインタビュー – 北海道ファンマガジン
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中田雅史さんにインタビュー

編集部
Written by 編集部

今回のインタビューは島牧村出身のシンガーソングライター中田雅史さん。優しく伸びやかな歌声が人々の心を捉え、ファンを着実に増やしています。中でも、故郷の島牧の海にちなんだ新曲「海空」は、2010年に有線放送でも問い合わせが殺到し話題になりました。そんな中田雅史さんに、おいたちや曲作り、ライフワークなどについてお聞きしました。(収録日:2011年2月9日)

― シンガーソングライターとして活動なさっていますが、小さいころから音楽の道に進もうと思っていたんですか?
 母親がピアノの先生をしていたので、ピアノは小さいころからやっていましたがすぐに挫折しました。中学3年の時に尾崎豊さんのライブ映像を見て刺激を受け、ギターを弾き始めました。でも最初は音楽の道で生きていこうとは全く思っていなくて、両親がバドミントンをしていたので、自然とバドミントンにはまってました。中学のときには日高中学校に転校してバドミントンに熱中し、北海道で最高2位になりました。バドミントンは、優勝する目標というよりは、遠征で知らない土地に行く楽しみが一番で、でも負けず嫌いで頑張っていた感じですね。バドミントンやってた頃は、対戦相手と観客の皆さんとの一体感が気持よかったんです。最高でしたね。それが今の音楽活動にもつながってます。

― 音楽を本格的に始めようと思ったのはいつごろですか?きっかけを教えてください。
 大学はバドミントンをするために京都の立命館に進学したのですが、思い描いていたものとは違って落胆してました。そんな辛い時期にギターを手に北野白梅町で路上ライブを始めました。ゆうじさんという人と出会いまして、「これを仕事にする気はあるの?」と言われたのがきっかけで、音楽で生きていこうと心に決めましたね。その時にもらった5000円札は今も初心として、「北の国から」みたいに大事にもっています。それから1年半後の2005年にバドミントンの部活をやめて、本格的に音楽活動を始めました。最初のライブのときは、優勝した感じがしましたね。

― ヒッチハイクの旅もされたようですね。
 京都から沖縄までヒッチハイク無銭の旅というのをしました。そもそもは屋久島の屋久杉の前で弾き語りするという目的だったんですが勢い余って沖縄までいっちゃいました。最初は橋の下とかで寝ていたんですが、優しい人にも助けられながら旅を成功させました。この旅の成功で、人とつながっていることを確信できましたし、音楽で生きていけるっていう確信を得ましたね。今でも旅をするんですが、旅でいろんな人と交流して、うまいもん食べて……っていうこと好きなことが全部できちゃうのが僕にとっての音楽なんです。

― 人とのつながりを大切にしておられるんですね。
 ヒッチハイクの旅などを通じて全国にたくさんの仲間ができました。これも何かの縁ですっていう出来事がいっぱいおこりました。それがあるがら今の自分がいるんだと思います。 面白い出来事を挙げると2006年、2007年には旅仲間30人くらいで富士山頂に登って夢を叫んだこともありました。「富志夢フラッグプロジェクト」では、全国から集めた夢を書かれた7色の旗を集めて、頂上に虹をかけ、その前で決意表明するっていうこともしました。そのときの出来事から「Flag」という曲ができました。あとは札幌市で「72時間不眠マラソン」もやりました。テレビ塔~石山通~狸小路~テレビ塔をぐるぐる50周くらいしました。僕は病の幼馴染を励ます目的でギターを持って走りました。そんな楽しいことをいっぱい経験してきました。


中田雅史さんにインタビュー

― 当初は京都で主に活動されていたんですね。
 定期路上ライブとか、ライブハウス都雅都雅にはお世話になりましたね。その都雅都雅では素晴らしい出会いがあったんです。そこで2008年に新年会に出演させてもらったとき、元尾崎豊サポートギターの江口さんが来ておられて、終わってから「誰が好きなんだ?」と言われ「尾崎豊さんです」と。「俺、尾崎のバックギター弾いてたんだよ、よかったら一緒にデモを作ってみないか」と言われたのがきっかけとなって、2009年にビクターから配信デビューしました。その年の1月には都雅都雅で元尾崎豊バックメンバーの江口さんと西本さんと吉浦さんと一緒にアコースティックのワンマンライブをやって、大成功でした。「I LOVE YOU」などやったんですが、感無量でリハーサルでは歌いきれなかったです。2010年にはベースに松山千春さんのサポートもされている六川正彦さんを迎えてフルバンドスタイルでのライブも達成しました。京都にいて、故郷のすばらしさに気づき、北海道発のアーティストになりたいと強くおもうようになり、2008年秋からは活動拠点を北海道に移しました。

― どのような曲をリリースしてこられましたか?
 最初にリリースしたのは2004年3月の「翼(tubasa)」ですね。大学時代のバドミントン部の先輩が卒業する時に贈る歌として作った歌です。僕が曲を作って、別の先輩が歌詞を作りました。そのあと毎年リリースしてきて、最近では2010年6月に1stアルバム「海空」をリリースしました。今では全部で50曲くらいありますね。ライブでいまでも歌っているのは、2007年以降にリリースした歌になります。2009年にはコンピレーションアルバム「オトキタ09」にも参加しました。

― どのように曲作りをなさっているんですか?
 僕はメロディーが出てくるのが早いんです。ふわっと浮かんできたのを耳コピして、コードに直して作るパターンと、ギターでコードを弾いていて、これいいな!っていうメロディーが出てくるパターンの2パターンですね。歌詞が悩むんですが、人生にフィットした歌詞を作ることを大事にしていますね。たとえば愛犬が死んだら「散歩道」、富士山上ったら「FLAG」、ばあちゃんが亡くなったときには「海空」という感じです。曲を作るのは、必要とされている感じ、使命感からくるときが必ず出来ます。「旅人の唄」「海空」「365」は安倍令こさんとの一緒に詞を書きました。自然な感じでチームになったんです。そういう自然にできたものって大事ですね。

[PV]故郷島牧村の母校や江ノ島海岸などで撮影された「海空」PV(出演:中田雅史、奈見)


― 有線放送の2010問い合わせランキング3位になった「海空」はどのようにして生まれたのですか?
2009年のことですが、おばあちゃんを送っていった道中、車の中でいろんな話を聞くことができました。そのあとすぐ亡くなってしまったんですが、そのときにおばあちゃんが話してくれた言葉をもとに歌にしたのが「海空」でした。生まれ変わったら歌手になりたいと言っていたおばあちゃんを想って作ったラブソングです。みなさんの大切な人や思い出の場所をおもいうかべてきいてほしいです。

― そのほかにお気に入りの曲があれば教えてください。
2010年12月なんですが、コンサドーレ札幌公式サポートソングオーディションで100組近い中からファイナリスト5組に選ばれました。それに合わせて作ったのが「FreeBird」って曲です。個人的に気に入っている曲です。まだリリースしてませんが今年中には!

― 音楽活動をしていてよかったこと、楽しかったこととか嬉しかったことあれば教えてください。
 人とのつながりができるということですね。神奈川県でライブをしたとき、疎遠になっていた故郷の友人と再会できた時はすごいうれしかったですね。音沙汰もなかったのですが、ちょうどライブ会場の近くに住んでいたみたいで、ライブに来てくれたんです。やっててよかったーって思いましたね。最近は島牧村出身の方が応援してくれていて、同じ村出身だし、歌もいいしって押してくれているのは励みになりますね。それだけではなく、いつも応援してくれるみんなの存在がどれだけ力になるか!!音楽やっててよかったって結構毎日思っているかも!

― 今後の目標とか夢とかありましたらお願いします。
 一番は、最高のシンガーソングライターになりたい!ということですね。バドミントンのテーマソングも作ってみたいですし、後世に残る曲を作って、みんなに愛される音楽を生み出していきたいです。あとは、故郷の島牧村でフェスをやりたいとも考えているんですよ。ライジングサンの小さい版みたいな。島牧に足を運んでもらって、また島牧に行きたい、住みたいと思ってもらえるようなフェスにしたいと思っています。僕を育ててくれたバックグラウンド、家族だったり、故郷だったり、学校だったりと出会えてうれしくて、僕の歌を通して何かできたらなといつも考えています。村とか田舎は大事と思っていて、盛り上げるのもライフワークの一つとしてやってきたいと思っています。その実現のためにも、まず自分が大きくなって戻ってきたいですね。

― 最後に読者の皆様に一言お願いします。
 北海道を元気にしちゃうような、面白いことをやっていきます!応援よろしくお願いいたします!

中田雅史さんのプロフィール

中田雅史(なかたまさし)。1984年12月2日島牧村生まれ、札幌市在住のシンガーソングライター。ライフワークはバドミントン、旅。幼少期から音楽に親しみ、大学時代に京都で音楽活動を本格的に始める。現在は拠点を北海道に移し活動中。雄大な自然を想起させる詩の世界観と伸びやかな歌声が特徴で、とりわけ「海空」が有線放送の2010問い合わせランキング3位になり注目されている。公式サイトはこちら

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