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カツゲンヒストリー2 「活源(かつげん)」誕生!

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カツゲンヒストリー2 「活源(かつげん)」誕生!

現在道内を中心に販売されている雪印メグミルク製造「ソフトカツゲン」。そのカツゲンのルーツを探る第2回目、初期カツゲンの誕生についてです。現在のソフトカツゲンの基礎はどのように築かれたのでしょうか。

 終戦前まで生産されていた「活素(カツモト)」ですが、戦後から10年ほどたって、類似した乳酸菌飲料の開発が進められることになります。どのような経緯で開発・発売されたのでしょうか。

「活源(かつげん)」VS「ヤクルト」

 1956年10月、かつて軍人に供給されていた「カツモト」に類似した道内初の本格的な乳酸菌飲料が、北海道内の一般消費者向けに新発売となりました。名称は「活源(かつげん)」。札幌酪農牛乳株式会社(さつらく=雪印乳業と提携)に勤務していた石黒氏が「活力の給源」の意味で命名、さつらくが商標登録したとされています(後の瓶にも緑の字で「活力の給源・カツゲン・乳酸生菌」と表記)。どうしてこの時期に発売したのでしょうか。

 1950年代当時の道内の乳業関連企業は、1935年発売以来販路拡大を続ける乳酸菌飲料「ヤクルト勢力」を危惧していました。まだ北海道上陸を果たしていなかったヤクルトより前に乳酸菌飲料を開発・発売することが札幌酪農牛乳(さつらく)の目標でした。開発はさつらく小樽工場で進められたようです。

 発売3年後の1959年、雪印乳業の西村工場長は当時の開発についてこう語っています。「誕生までいろいろ苦労がありましたが、皆様にご愛飲いただいたおかげで、今日に成長しましたことを感謝しています。私どもの会社は牛乳が本業で、牛乳、アイスクリーム、ヨーグルトなどを製造して、ご愛用いただたいているのですが、ヨーグルトをもう一歩前進させ、飲みやすい飲み物、つまり美味しくて栄養の高い飲み物を作り出そうというのが、カツゲン誕生の動機です。もちろん原料は牛乳です。」

 牛乳には一等乳・二等乳といろいろありますが、カツゲンの原料には最も良質な一等乳が用いられました。この良質牛乳を完全減菌した上、その中に純粋培養した二つの乳酸菌、すなわちブルガリア菌とアシドフィラス菌を入れて72時間培養、菌をふやしました。こうして原液が出来上がるわけですが、このままでは酸が強くて飲めないので、これに砂糖やブドウ糖、果汁などを加え、均質機にかけて均質化したものが原液となり、処理工場に送られ瓶詰めされるという行程です。

 このような開発の苦労を経て、ようやく念願かない、ヤクルトが道内発売されるよりも約2週間早く「かつげん」発売にこぎつけました。ライバル意識は内容量と価格にも表れ、ヤクルトは30ml・5円だったのに対し、活源(かつげん)は40ml・5円。広告宣伝も功を奏し、道内ではヤクルトよりも早く広まり浸透していきます。

※ちなみに、雪印乳業と分割したクロバー乳業も、やはりヤクルト進出を脅威に感じ、1956年に復刻版「活素(かつもと)」を1年弱の期間、釧路工場と旭川工場で製造したという、カツゲン開発者(石黒氏)の談話もあります。その後、当時急成長していた上述の「カツゲン」製造に転換したとされています。もしそうであれば、1956~1957年にかけての期間、復刻版「活素(かつもと)」と「活源(かつげん)」の2つが同時に存在していたことになります。発売時期から察するに、以下の表に記される1956~1957年度のクロバー乳業のカツゲン生産量はその復刻版カツモトである可能性もありますが、今となっては真偽不明です。

※同様に、活源(かつげん)誕生に関するさつらく側の公式記録は皆無であり、不明な点が数多くあります。この時期の開発・製造・発売について雪印乳業側の社史には詳細に記録されておらず、委託加工にて発売したとの記録にとどめています。以降の生産記録について詳述している雪印乳業が、カツゲン開発という重要な部分を記録していないことは、雪印乳業が開発に関与していないことを示す、と考えられます。当時開発に携わった石黒氏の証言が唯一の手掛かりとなっており、上記の開発秘話はそれに基づくものです。

雪印乳業やクロバー乳業がカツゲンを製造

 「活源(かつげん)」発売時の製造本数は30000本だったと雪印乳業は記録しています。その後の製造は、札幌酪農牛乳(さつらく)と資本提携を結んでいた雪印乳業やクロバー乳業も委託加工という形で行いました。

 翌1957年、より親しみやすい「カツゲン」と片仮名表記になり、雪印の帯広・留萌・奈井江・函館・青森・青森八戸・岩手釜石の道内4工場・東北3工場、合計7工場体制で生産することになります。その後、大阪工場をはじめ他の工場でも生産されるようになりました。

 1950年に過度経済力集中排除法のため雪印から分割されていたクロバー乳業株式会社(分割当時は北海道バター株式会社)もカツゲンを製造することに参加。1956年に80cc瓶換算で81000本、1957年に3164000本、1958年に2786000本生産しています。1958年11月に再び雪印と合併するまで生産は続けられました。雪印乳業とクロバー乳業のカツゲン生産量は以下の表のとおりです(単位は80cc瓶換算)。

年度雪印乳業クロバー乳業
1956年度 81000
1957年度 9109000 3164000
1958年度 278600022192000

 その後、雪印ブランドの「カツゲン」になります。1959年12月には、提携していた札幌酪農牛乳(さつらく)新工場を札幌の雪印敷地内に新設。牛乳、ヨーグルト、ピュアジュースを生産したほか、カツゲンを1時間に6000本生産しました。北海道で根強い人気を誇るようになるのはその後のPR活動等によります。次の記事では、当時のカツゲン普及活動に注目します。次の記事に続きます

「活源(かつげん)」誕生期の年表
1950/06/XX 北海道バター株式会社(後のクロバー乳業株式会社)分割
1955/01/01 札幌酪農牛乳と提携促進、さつらく製品に雪印マーク使用へ
1956/10/XX 乳酸菌飲料「活源(かつげん)」発売
1957/XX/XX 「カツゲン」と片仮名表記に改称
1958/06/01 雪印カツゲン愛飲者感謝セールスタート
1958/11/01 クロバー乳業が雪印乳業と合併
1959/07/XX 厚生省から特殊栄養食品表示許可(第2537号)
1959/12/15 札幌酪農牛乳新工場を雪印敷地内に新築しカツゲン生産
1959/10/27 長万部町でカツゲンを語る座談会開催
1960/02/01 必須アミノ酸リジンを強化

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