道東の地に葵の紋どころ!? 美しい桜の古刹「国泰寺(こくたいじ)」

【厚岸町】 葵の家紋というと「控えおろう! この紋どころが目に入らぬか!」と、あの有名なTV時代劇に毎回ジャーンと登場するおなじみ徳川家の紋章だが、意外にもこの日本の端っこ道東地域で、TVの再放送じゃなく実際に見れるのをご存知だろうか。厚岸町にある国の史跡、国泰寺跡がその場所だ。ここは日本で一番遅い桜の名所のひとつとして、地元を始め多くの観光客が訪れるが、実は歴史的に由緒正しいスポットでもある。今回はお花見を兼ねて、久しぶりにその国泰寺を訪ねてみた。


国泰寺の建立は文化元年(1804)と、開拓の幕開けが主に明治以降である道東の地において、他より歴史がある。実はこの厚岸、カキをはじめとした豊富な天然資源と共に、自然の良港である厚岸湾のおかげで、国内はもとより諸外国をもつなぐ航海の要衝として、古くからさまざまな歴史を刻んできた場所なのだ。アイヌや和人はもちろん、有史以前には縄文人、近年にはロシアやオランダ、オーストラリア、フランス人の来航に至るまで、およそ6千年もの人の歴史があるという。


当時の江戸幕府はそれまで、蝦夷地における一切の支配権を松前藩に委ねていた。しかし江戸時代後期の18世紀末になると、和人の搾取に対するアイヌ民族の蜂起(クナシリ・メナシの戦い)や、当時のロシアが北千島から南下政策を進めるなど、東蝦夷地の情勢は次第に緊迫しつつあった。これを重くみた幕府は寛政11年(1799)、松前藩から蝦夷地の大半を取り上げて一時的に直轄地とし、東蝦夷地の防衛にも本腰を入れることとなる。その際、第11代将軍徳川家斉が蝦夷三官寺のひとつとして、アッケシ場所に建立したのがこの国泰寺であった。その由縁で「徳川葵」の家紋がこの寺に付されたというわけだ。


現在の国泰寺は、昭和58年(1983)に建て直された比較的新しいものとのことだが、家紋が付された山門は一部、大正時代のものを修理しながら使用しているそうだ。また、鮮やかなグリーンに苔むした境内の庭園には、仏牙舎利塔や地蔵尊、趣きのある大木がバランスよく配置され、建立当時の優雅な雰囲気が残されている。樹齢約180年の老桜樹と呼ばれるオオヤマザクラはちょうど満開で、春の陽気のなか、小鳥のさえずりも境内に響きわたっていた。海が近い境内なのでカラスの大きなカァ!に時折り驚くが、まぁそれも風情のうちとしよう。


厚岸はグルメの町という印象が強いが、そのグルメにも数々の歴史的ドラマがある。訪れた際はぜひ、国泰寺を始めとした厚岸の歴史文化にも触れてみてはどうだろう。その後のレストランで食べるカキなどが、より味わい深いものになること間違いなしだ。


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景運山 国泰寺(史跡 国泰寺跡)

所在地:厚岸町湾月町1丁目
電話:0153-52-3064
※国泰寺の観覧は自由。資料は隣接する厚岸町郷土館へ

<参考文献>
厚岸町Webサイト「厚岸町の歴史・文化財」
http://www.akkeshi-town.jp/rekishibunka/rekishi