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網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

みなさんこんにちは。 オホーツク観光大使ラウフェンCukaです。 こちらの記事では、laufenが担当しているAir-G'(FM北海道)の番組「laufenのkita-note」で知床、オホーツクについて取材した模様を文字と写真でリポートします。

<第13回ゲスト>網走市立郷土博物館館長・米村衛さん(2014年7月31日放送)

―― laufenのkita-note、Cukaがお送りしています。 この番組では毎週知床、オホーツクに関わる様々な方をご紹介します。 今夜のこの時間は網走市立郷土博物館 館長、米村衛さんにオホーツク文化について教えていただこうと思います。 もしもし!(Cuka)

米村:もしもし、米村です。

―― 米村さんですか、こんばんは!よろしくお願いします。

米村:よろしくお願いします。

―― 私はオホーツク観光大使ということで、オホーツクについてより多くの方に知ってもらう為にお手伝いをしているのですが、昔のオホーツクのことは全然知らないことも多いんです。 オホーツクという地名は元々どういう意味なんでしょうか?

米村:現在海の名前にも使われております通り、ロシアの方の極東地域にオホータという川がございまして、オホーツク海に注ぎ込んでいるその川の名前に由来しているという風に言われております。 元々はその地域に住んでいる先住民族の人たちの言葉であったようで、アイヌ語ではございません。 意味としては川というそのものを表しているような言葉であったと言われております。 川のほとりにオホーツクという町がございますけども、それはオホータ川から来ている町の名前、そしてそれが海の名前にもなっていったという風に考えられています。

―― ロシアだったんですね。

米村:はい。

―― 北海道で昔から暮らしていたのはアイヌの人たちというのは知っている方も多いと思うんですけども、オホーツク地方には昔別の人たちが住んでいたというのを聞いたことがあります。 それってどんな人たちなのでしょうか?アイヌの人たちや、私たちとはどんな風に違うのか教えていただきたいです。

米村:オホーツク地方には北海道の他の地域と同じように、旧石器時代から縄文時代、そしてアイヌの人たちという風に多くの人たちが住んでいたのですが、その中でも特に特徴的なのは今から1300年ほど前に北のサハリンの方から移住してきたオホーツク文化人と呼ばれている人たちがいたということなのです。

―― はい。

米村:彼らは身長は160cm程と当時としては非常に背の高い人たちで、顔の形も頬骨が張っている、いわゆるがっちりした体格の人たちでして、日本人、それからアイヌの人たちとは全く違う人たちだったと言われています。

▼モヨロ貝塚館、オホーツク人の復元人形
網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

▼モヨロ貝塚出土のオホーツク人骨
網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

―― オホーツクに昔住んでいた人たちは、どういった生活をしていたのでしょうか?

米村:この人たちの最大の特徴は、魚とかアザラシ、オットセイ、海の物を狩猟していたということが一番の特徴として言われています。

―― ちなみにアイヌの人たちはどういった生活をしていたのでしょうか?

米村:アイヌの人たちは北海道の山の自然に適した暮らしをしていたということが言われております。 当然海の物も、すなわち北海道全般の自然の物を適用して食べていたということですが、オホーツクの人たちはその中でも海の物に特化して食料として食べていたというのが一番の特徴だと言われています。

▼モヨロ貝塚の発掘風景-魚やアザラシの骨などの調査状況
網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

―― 冬はとても寒いと思うのですけども、オホーツクの人たちは寒さをどうやって凌いでいたのでしょうか?

米村:そうですね、先ほども言いましたけどもアザラシなどをよく獲っていたということで、アザラシ類の毛皮などを用いた衣服ですね。 それから住んでいる家は半分が土の中に埋まっている、いわゆる竪穴式の家に住んでおりまして、冬の寒い時にも非常に対応できるような家に暮らしていたのではないかと言われています。

―― 夏はどんな格好をしていたのでしょうか?

米村:夏は例えば魚の皮を使った服、それから他の動物たちの皮などを使った服を着ていたかと思います。 少し薄着にはなっていたと思いますね。

▼モヨロ貝塚出土の牙製の女性像
網走市立郷土博物館館長に聞く「オホーツク人」ってどんな人たち?

―― そうなんですね。 オホーツク人は色々生活していく上で最終的にその後どうなったのでしょうか?

米村:恐らく地元に擦文文化の人たちが住んでいたわけなのですが、そういう人たちと次第に多く接触を持つようになって、その地元民の中に溶け込んでいったのではないかと考えられています。 根底については未だにわかっていない部分が多くありまして、謎の部分という風に言われております。

―― まだ謎が多いんですね、オホーツク人は。 北海道はサハリンの方から来たオホーツク人と元々住んでいた地元人とアイヌの方々がいたという、そういう感じになりますか?

米村:そうですね、元々いたのは縄文人以降の擦文人、それからアイヌの人たちなのですが、実はこのオホーツク文化の人たちというのは今から1300年ほど前に一時的にこの辺にやって来た人で、この人たちがいなくなった後にアイヌの人たちが本格的に北海道で活動を始めたという事も言われております。

―― ありがとうございます、この続きはまた来週聞かせてください。 この時間は網走市立郷土博物館 館長の米村衛さんにお話を伺いました!ありがとうございました。

米村:ありがとうございました。

網走市立郷土博物館

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筆者について

ラウフェンくか

ラウフェンくか

2011年4月1日、札幌を中心に活動するlaufen・Cukaの故郷が世界自然遺産知床・斜里町であることから第14代オホーツク観光大使に任命された。2013年3月に連載スタートした「オホーツクまち発見!!旅紀行」では、オホーツク各地の魅力を発信する。