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国の重要文化財指定へ!事務局長に聞く「博物館網走監獄」の楽しみ方

国の重要文化財指定へ!事務局長に聞く「博物館網走監獄」の楽しみ方

みなさんこんにちは。 オホーツク観光大使ラウフェンCukaです。こちらの記事では、laufenが担当しているAir-G'(FM北海道)の番組「laufenのkita-note」で知床、オホーツクについて取材した模様を文字と写真でリポートします。

<第45回ゲスト>博物館 網走監獄 事務局長・配島淳さん(2015年12月10日放送)

―― laufenのkita-note、Cukaがお送りしています。 網走市の観光名所の一つ、現在は博物館にもなっている網走監獄が、国の重要文化財に指定される見込みになったそうです。 今日は博物館 網走監獄の事務局長、配島淳さんとお電話が繋がっています、イランカラプテ!(Cuka)

配島:イランカラプテ!

▼網走監獄レンガ門
国の重要文化財指定へ!事務局長に聞く「博物館網走監獄」の楽しみ方

―― 明治時代にできた網走監獄は日本最北端の刑務所ですが、なぜこんな北の地に大きな刑務所が建てられたのでしょうか?

配島:網走刑務所ができたのは125年前の明治23年(1890年)、北海道の開拓時代です。 開拓の色々な仕事をさせるための一番安い労働力として囚人を使おうと当時の明治政府は考え、北海道のあちこちに集治監と呼ばれる監獄を作っていました。 網走監獄もその中の一つだったんです。

―― そうだったんですね、網走監獄が他と違うというところはあるんですか?

配島:物凄く長い道路工事をしたことですね。 今の札幌から旭川を経由して北見峠の方を通って来る道路の現道を、大体網走から北見峠まで180キロぐらいを作ったのが網走監獄の最初の仕事なんです。 ですから道路工事をするために作られた刑務所であったということです。

―― 囚人の皆さんはどんな生活を送られていたのでしょうか?

配島:最初は相当大変だったと思います。 まず明治20年(1887年)頃の話で北海道の寒い場所で生活する技術や知恵というものがきちんと把握されてなかったので、東京と同じような刑務所の建物を図面通りに作ってしまったんです。 ですからどうしても冬は寒いということになりますよね。
そして、最初の一年目で先ほどの道路工事を終わらせろという命令が出ていたために、仕事の内容が厳しすぎて1,200人ほど集めていた囚人がその1年で200人以上亡くなりました。 あまりにも犠牲者が多かったので、この仕事が終わった後に刑務所の人を使いこのように働かせてはいけないというルールができました。
それからの網走刑務所は、まだあまり周りに人が住んでいませんでしたから、周りの広い土地を使って囚人たちが自分たちで食べるものを自分たちで作れば安上がりに済むなということで、農園刑務所にしてしまおうと農業を始めたんです。 これは数十年前までこの形で続いてきました。

―― 最近まで続いていたんですね。

配島:今は農業をやっている人はわずかなのですが、今から40年ほど前には日本最大の農園刑務所と呼ばれていた時期もあるくらいでした。

―― それは驚きました。

配島:125年前の話ですが、その時代の北海道の開拓、特にオホーツク圏というのは、道路が札幌まで繋がっていなかったので海からしか人が入って来られなかったんです。 そして冬になると流氷で海が埋まってしまうので、人も荷物も運んで来ることができない場所になってしまう。 しかしその道路ができたおかげで、網走、北見、斜里、紋別などの開拓が飛躍的に進んで行ったんです。

―― 今の囚人の方たちはどんな生活をされているのでしょうか?

配島:刑務所の中に各種工場がありまして、例えば網走のお土産品で有名な木彫りのニポポ人形は、網走刑務所の中の木彫りを作る工場で作られています。 収容されている人たちの作業で、網走で一番有名なお土産品が作られているんですね。 その他に焼き物の工場や、中が広いのでそこで木を育てて、その木を使って色々な物を作るための木工所、金属を加工する工場などがあります。

▼旧網走監獄・舎房内部
国の重要文化財指定へ!事務局長に聞く「博物館網走監獄」の楽しみ方

―― 博物館 網走監獄が重要文化財に指定される見込みだと伺いました。

配島:博物館の中には、実際に網走刑務所で使っていた建物を移築して保存して公開しているものがあるんです。 この中から実際に刑務所で使っていた事務庁舎、囚人たちが集まってお話を聞いていた教会堂と呼ばれる講堂、囚人たちが生活をしていた舎房、この3つがまず一つ目のグループになります。 もう一つが農業をしていた刑務所で、網走の刑務所本体から少し離れたところに二見ケ岡刑務支所という施設があります。 そこで使っていた建物も一つのグループとして2軒8棟の建物を重要文化財として指定する見込みになったということです。

―― とても広く様々な展示物がありますが、体験などもできるのでしょうか?

配島:体験としては、昔囚人たちが着ていた囚人服を着て写真を撮るコーナーや、先ほどお話しした道路工事の頃は足に鉄の重りを付けて仕事をしていたので、その重りを実際に足に付けて重さを感じてみようというコーナーがあります。

―― 刑務所で出ていた食事が食べられると聞きましたが、どんなものなのでしょうか?

配島:食堂も博物館の方で運営していまして、その名も監獄食堂と言います。 こちらで体験監獄食ということで、サンマの塩焼きがメインのおかずになっているものと、ホッケの開きがメインのおかずになっているもの、2種類の監獄のお昼ご飯を食堂で食べることができます。

―― 本当に色々な体験ができるんですね。

配島:昔の刑務所の中のものを体験してもらうということはなかなか難しいところがあると思うのですけど、色々考えながら企画を行っています。

―― ぜひ一度体験していただきたいと思います! 配島さんが考える北海道、網走らしい音とはどんなものでしょうか?

配島:私は40数年網走の街に住んでいて、必ず海沿いの高台の上に住んでいるのですが、夏を過ぎて秋になって来ると、夜の間ずっと海鳴りの音が家の中に入って来るんです。 ゴーっという風の音か波の音か、あの音が網走の音というイメージを持っています。 網走の街の人には普通に耳に入って来るノイズのような音ではないかと。 テレビなどを消して布団の中に入るとなんとなく聞こえてくるという感じなのですが。

―― 自然に流れているものなんですね。 博物館網走監獄はJR網走駅から車で7分、入館料は大人税込み1080円、大学・高校生は750円です。 ホームページのクーポンを見せると10パーセントオフになります。 重要文化財になる開拓期の施設をぜひ見に行ってみてください! この時間は、博物館 網走監獄、事務局長の配島 淳さんにお話を伺いました。 ありがとうございました!

配島:ありがとうございました。

博物館 網走監獄

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筆者について

ラウフェンくか

ラウフェンくか

2011年4月1日、札幌を中心に活動するlaufen・Cukaの故郷が世界自然遺産知床・斜里町であることから第14代オホーツク観光大使に任命された。2013年3月に連載スタートした「オホーツクまち発見!!旅紀行」では、オホーツク各地の魅力を発信する。