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阿寒湖のマリモを巡る歴史

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Written by 編集部

阿寒湖のマリモを巡る歴史

国内で球状マリモが発見されたのは阿寒湖が最初でした。その美しさと希少さゆえに、天然記念物、そして特別天然記念物に指定されました。開発に伴いマリモの生息域が減少したため保護活動も進められてきました。

世界的には1753年にカール・フォン・リンネがスウェーデンでマリモを採取し学名を付けたのが記録に残る最初ですが、国内でマリモが最初に発見されたのは1897年のことでした。札幌農学校(当時)の川上瀧彌(かわかみたきや)氏が、阿寒湖西部の湾であるシュリコマベツ湾で発見したものでした。川上氏はこれに「毬藻(まりも)」と命名し、翌年に農学校学芸会雑誌などで湖底に大小の球状の藻が羅列していたことを報告しました。

1919年には植物学者・吉井義次氏が阿寒湖で本格的な研究を行い、マリモが世界的に見て貴重だと断定、2年後の1921年3月3日に国指定天然記念物になりました。しかしその後、マリモが国民の間に知られるようになるとマリモの違法採取が相次いだことから、1950年以降のマリモ調査に基づき1952年3月29日の国指定特別天然記念物へとつながりました。

1955年に全国各地からマリモが阿寒湖に戻されましたが、生息域は減少。最初に発見されたシュリコマベツ湾周辺では"絶滅"したとされています。現在は環境省レッドリストで最も絶滅が危惧される「絶滅危惧I類(CR+EN)」に分類され、マリモ保護の観点からマリモ生息域への立ち入りやマリモの移動・持ち帰りは禁止されています。

阿寒湖のマリモを巡る歴史 阿寒湖においては、シュリコマベツ湾上流の森林伐採と開発や、ウチダザリガニによる巣作り・食用の影響で減少傾向にあります。それは阿寒湖に限った話ではなく、例えば標茶町のシラルトロ湖は多数生息している地ですが、土産用マリモはここ出身であることから徐々に減少、釧路町の達古武沼に至ってはあまり確認されなくなったということです。

阿寒湖のマリモ関連年表(主なものだけ掲載)

1897年:川上瀧彌がシュリコマベツ湾で発見
1898年:川上瀧彌が植物学雑誌で発見記録を掲載し「毬藻」と命名
1919年:吉井義次が調査、飽別発電所供用開始、阿寒湖は湖面低下へ
1921年:天然記念物指定
1923年:保護のためマリモを他の湖沼に移植
1941年:シュリコマベツ湾のマリモ全滅
1950年:マリモ保護会発足、第1階マリモ祭り、電力利用による水位低下による被害を調査開始
1952年:特別天然記念物指定
1953年:然別第1発電所竣工、阿寒湖水位低下阻止へ
1957年:チュウルイ地区にマリモ保護監視人常駐
1961年:観光船のマリモ生息地航行自主規制
1978年:チュウルイ島マリモ展示観察センター竣工
1995年:チュウルイ島マリモ展示観察センター改修
2002年:阿寒湖畔エコミュージアムセンターにマリモ研究室設置
2005年:阿寒湖ラムサール条約登録

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